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あげちうのブロマガ

有能と言う神は悪魔を育てる

ともかく今も、「カウンタ数値」評価?一般的な箔、そう言う物とは微妙に無縁な状況ではある。

ただ、求めた、或いは主張した”理想”に、それは必ずしも必要か?ではあって。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

時々、神様は有能('ω')

 

まだ結果、とは言いがたい状況、時間の流れも不意に速い感覚に陥る現状で、ともかく”ここ”に箔があったら果たして?は、ちょっと考える。今の想定では、「公民館事業の一か所かに、非力が一人で何の評価も得られない運営をせねば成らなかった」その状況が改善してなかった、という事が全体の軋みを産んでいた、事に成る。社会が気づいたら「回り番」で運営を行う様になった時、その役職に”妥当ではない存在”が回る事になった。「彼は人との付き合いが下手だから」だろうと、順番に成ったらその役職でその職務を行う必要が出て。

そして、最後は単に「運動会の運営がうまく行かなかった」だけで、自殺したりする訳だ。

この場所に、作家的な脚光、そう言うのは無い。利益も無い。実際には裏方で評価も無い。そして、ただ回り番で、その向いてない仕事を要求されそして。その仕事は一人で行うには、かなり負荷が高い。想定?する担当者の状況は古い。”妥当な”能力を持ち、つまり家庭が、妻子があり仕事も滞りなく行っているだろう「普通」の人、だ。実際にはその「普通」に要求してるのが、技術者の領域的には「美鶴さんの長い妄想」これを作ってください、という…まあ、それではある。

グラフィックもプログラムもシナリオも、借りられる所は借りていいけど基本パクリはダメよ?

出来るか出来た奴は居るが、しかしそれでも、如何にうまく行こうが”それ”が評価される事は基本無いのだ。

自分が今も、何を要求されているのか?ではある。目的は何か?その時必要な事は?だ。ともかく”ここ”に負荷があって、或いはそれが出来た「有能」な時は、”それ”は単なるゲームの障害に過ぎなかった。次第に或いは、衰えるなり理解するなりで、その蛮勇が意味を失って始めて、”それ”が一人が背負うには重い負荷だ、という事には気づく訳だ。知人友人も当てに成らず、家族も非協力的か居ない。日常を送るだけで精いっぱいなそこに、その役職は廻ってきていた。「漫画家なんだから絵も物語も得意だよね?」実際には、片方は何処か不足するのが現実である。

…しかし今まで?だろうか、昭和の頃も多分、それを理解する前に、その場はもう既に遠い過去なのだ。「頑張れば何とかなる」そして或いは先生になり、過去の経験からそう、世間に要求する事には成る。

相反する。「利益に成らない事はしなくていい」その時、その”先生”はその現場に、辞退を勧め、現場はそれを背に我を張りそれが通ってしまったりする。役職が居なくなり、前任者がまた?みたいな話になり、負荷はふいに、去年の倍みたいな事に成り。或いはそして、最悪な事態を産んでも、状況は次の犠牲者を待つだけ、という事態へ。

田舎だから?だろうか。

たかが小さなネジ一本が、古くなっているのだ。

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