「朝鮮」と言う国の消滅は、理不尽だったか否か?ではある。
西側と東側の対立で、国は二分し、結局は二つに裂けてしまった、訳だが。
「それ、日本の責任?」と言うと、それはちょっと解らない。ドイツも似たような状況に陥ったが、近年にベルリンの壁は崩壊し、形式上は元の一つに戻っている。しかし朝鮮は素人目にも水と油、位に違う「韓国」と「北朝鮮」に分かれてしまって?再びの統一はたびたび語られるも、それは今も遠い夢想の様な状況、だ。
「朝鮮の復活」は、ちょっと無理、物理的に、そんな状況だというのは、解る。しかし?「広告代理店」が朝鮮系の意識によるモノとした時、最終的な目標を”そこ”に設定されると、後継者には「不可能」それが要求される事には成る、訳だが。
「なんでダメなの?」
たびたびある感覚、だ。そしてそれは「スマートフォン」そこにも現れはする。個人的な感覚では、「ガラケー」と「タブレット」に分かれている方が良い、とは思っていたが。それは今も、頑ななまでに、「全てを一つで!」その感覚に支配されている、様な。
この場には何故か「利益性」それが希薄なのだ。楽天は通信事業部の採算の悪さに苦しんでいるし、ソフトバンクも借金の重さは語り草でさえあり。スマートフォンを製造してる会社は次々と消えて行って、残った所も採算性は悪い、という話。Windows系の幅広い会社が参入してる状態とはかけ離れた状況で、しかし。それでも何かは、この先へ進まんとする意識を止める事は無い。
その辺が、「バルキリー」と言う機体デザインには現れている、そう言うのは有るのだろうか。
ともかく「一人」に成ってしまうと「創ったモノを売る相手が居なくなる」それは、有る訳だが。
「朝鮮」と言う国が抱えていた常なる理不尽、か。「売るモノが無い」結果、お金を得る手段がない。他者はそんな国家を侮蔑し罵倒し、そしてなけなしの財産まで略奪していく。理由の様なモノとして「麻雀」その肯定はある、ハコテンで終了しない帰結、だ。深くなり過ぎた負債は、浮上する機会を失っていく。
そんな先で、朝鮮は消えてしまった、そう言う感じはまあ、ある?
朝鮮人の誰かが考えたのだろうか。そして今も、「このゲームは面白い」そこから抜ける事が出来ない?
累積する負債に沈みつつも、”本人”にはそれでも、「面白い」のだろうか?