展開的には「最後に魔物は倒され、その世界から追い出される」と言う定番の是非ではある。
現実の場合、”それ”は人間の心の中にしか居ない、事には成っている訳だが。
この辺あくまでも、作者の信仰に依存しているのだ。「魔物」要らない存在とは何か?等々、踏み込んでいくと結局は「誰?」の問題は出てくる。自分の今の状況にしろ、過去の「世界征服を企む悪の組織」と言う定番の”不効率”を超える術は、なかなかに思い付かない。彼らはどうやって支持を得て、特攻までし得る「支持者」を集め、そして徒労に相当する行為に至るのか。現実の場合そこには、「そんな存在は居ない」これは漫画だ、と言うような、そんな返答が理想としては有る訳だが。
現実には「魔物」は居ないのだ、ただ、社会的な歪みで歪んでいく人の病、それが有るだけだ。
大概、それは「無理」その先にある。現在?表面化しつつあるのか「朝鮮の意識に”国を護る”事を要求するのは無理がある」と言う、そこではあり、そしてそこに対して侮蔑する、その意識ではあり。「国を護らねば成らないってのは当然だろう?」「その為に、明日の自身の食費を提供しろと?」上の方の意識が、末端でこうなっていく時、そこに歪みと共に「魔物」それが現れる事には成る訳で。
理解では、「その可能性」に対して過去、子供番組のヒーローは立ち向かう事に成っていた、訳だが・・・過去の「作者」の信仰は、しかし後世には伝わりにくいモノとして、消えていったというべきか。
結局、「アイドルの必要性って?」シンプルな疑問の多くには、奈落が残ってしまった。
「自由に創らせろ」は、その現場の「正義」それを自由に語らせろ、という事ではある訳だが。この時ほぼ9割以上のそれは、「という訳で私の理想の為に税金を拠出しなさい」に、陥る。100%に近くなるほど、それは強制力に成っていって、その時の「利益性」それは、最終的には「弱者からお金を巻き上げる」カツアゲする、そう言う物でしかない、事には成る。1割未満は、世間に労苦に対する”対価”を要求するだけかもしれないが、前者と後者に差が見えない、単なる作者の正義でしかない時、その肯定はカツアゲの肯定、それでしかなく。
”これ”が今、利益性をほぼ失ったとしても、それは道理でしかない。
仕事が無い、存在に「働け」を言うのが悪いのか、それともその人物が自分で仕事を探しに行かないのが問題なのか。社会は彼らに何故、対価を期待できる仕事を設定しないのか?魔物は何処に居るのか。ともかく「自由に!」の先にある絵は、奇妙に歪んだ魔物のるつぼでしかない、そんな感じもしない事もなく。
信仰の自由があるから、明言は出来ない。ともかくその時、「王の権威」それが語る”信仰”は、多くの支持とお金を得やすい、そう言う特徴は…ある。奇妙につまり、”ここ”は「世界征服を企む悪」それに表裏を持つ訳だが。それを完全否定するのは正しいのか?それは、ちょっと残る問題にはなり。
結局、「元凶」は大概、再び舞い戻ってくる、のだが。