あげちうのブロマガ

需要と供給の合致を目指す時

単純な話はある。

「大賀さん」その決定に逆らう、それは単純に”罪人”である。
その決定に従ってたら?自身の行為は罪に問われ失職、或いは投獄も有るからだ。

…という事が、証明されれば、その後の処理もそれほどは難しくない、とは言う。


自分の思想的に言うと、テレビと言うのが、非常に実は面倒なメディア、という事には成る。番組、テレビ局、或いはチャンネルすら独立してないのだ。「テレビ」と言う巨大な個であり、或いは多分、その頂点として「村山美知子氏」それは、その時君臨していた、現状はそう言う把握。

彼女自身の主張としては?昭和天皇のサポート、だったかもしれないが。
昭和天皇の感覚では、常に問題を起こす悪の親玉…そう言う絵だったろうか。

ドロンジョ様、と言うのは誰だったか?そこに少し、考える部分はある。

ともかく結論で、テレビと言うのはそんな支配体制を、「昭和天皇の抑止として」作ってしまった、と言う面は…あるのかもしれない。その辺が結果、昭和天皇の死後、暴走し、平成と言う時代に成ってしまう訳だ。その後の経済的崩落に対して、テレビにも、重い責任は問われたろう、現状も既に、存続さえ危うい状態へと陥りつつある、インターネットの台頭もまた、その流れの中の話だ、しかし。

インターネットが利益性を持つのか?というと、「結論では持ってない」のであって。

「テレビ」と言う親?の財産を横取りして栄華を誇っているに過ぎない、そしてそれは、次第に現実に直面しつつある。経済が衰退していく、スポンサーは何処にいった?


その状況下で、認識は変化し始め、「お金を持ち払う存在」に、その要求に、結果を合致させる必要は出て来てはいる。しかし、その流れ?としてある今は、いささか不愉快さのある、そんな状況なのかもしれない。

テレビは、”全ての意見を”平等に扱う必要があるのだ。

「利益性の為には」現在の利益を提供する存在”だけ”を称賛し担ぎ上げるのではなく、テレビは特に、「マスコミとしての」期待される態度、それが必要ではあり、その時。「反逆者」体制に不満を持つ存在、その意向を拾わない、と言うその態度は、その王の権威、「大賀さん」その要求としても…合致していない訳だ。

もちろん?その「反逆者」その声が、ねつ造では意味が無い訳だけど。

期待されるのは、その声が、聞くに堪えない愚者の意向に過ぎない、そう言うモノである事、だ。民衆の視線に晒される時、その発言の何処に正義は有るのか?と問われる、その結果として、その反逆者は社会的な抑止を受ける事にはなる。思想的には「大衆は神である」ので、その反逆者の声に、聞くべき正義が有れば拾うだろう、それが無い?と言う事は、現状に問題は無い、そう言う意味ではあり。

それもまた、何かの理想、机上のそれかもしれない。

単に、引受先の無い悪霊未満が、そこに居るだけなのかも。

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