あげちうのブロマガ

邪悪なる病それは因果の末か

大いなる問題は有る訳だが。

「商店街が、どの店も流行ってるのが理想です」
「そうだそうだ、ウチが儲かってないのはおかしい!」
「北朝鮮、あんた何言ってんの同じだと思ってんの?」
「ちょっとミサイルの演習してただけだろ?!」

その、神の理想、「商店街が」その時、要するに主観として北朝鮮みたいな所も同調してくるのが”非常に気持ち悪い”感覚は残って。”相手”は、どれだけの侮辱や屈辱を相手に与えていても、ここでは同じ場所に居て自身の「不当」を訴えるのだ。現状、「軽犯罪の重過失」それが有るからまだ、「貴方は別です」その時、そう明言は出来るが。それでも”同じ場所には居る”のである。人間の感覚では、確かに1回だけなら誤射かもしれないのだ。


ただ、”それ”が逆に言えば、「現実」なのかもしれないのだが。


この「許し難き下郎」を、何故か理想は簡単には排除出来ない訳で。もちろん?不当を訴える、それは「状況が悪い」その証拠みたいな物ではある、相手は、じわじわと悪化はしていく…訳だが。それでも、何かの影響力は残しつつ、理想を妨げる壁となって立ちふさがり、気分を台無しにしてくれたりする。とは言っても、人もそうだが、”そこ”に至るまでには歴史が有り事情が結構あり、あながち「ふざけんな」で断罪できない状況はあって。アメリカの武力は、明確に恫喝も侵略も辞さない戦力だ。”それ”に立ち向かう時、そこにそう言う使えるパワーが有る、訳で。

「正義は勝つ」時、日本の視点或いは法律では…、どっちに非があるのだろう。憲法9条それは正義か否か、国際社会の中で、しかし。


この辺、STAP細胞それは何故無いのか?そこにも通じる話なのかもしれない。

結局、「病は気から」とも言う、「病」それは、その人の精神と肉体への因果の結果として発露するモノだと言う視点はあって。その時?体に起こったその変化は、果たして何が原因だろう?突然?そうとも言えない物は或いはあって。上の様な、「軽犯罪の重過失」体への不摂生、或いは不養生、それはそう言う物に相当するのかもしれず?蓄積する先で致命的な病を発症する、”それ”は有り得る話、だ。しかしその時。

「大丈夫、STAP細胞を注入したので明日には直ります」

他国へアレだけの屈辱その他を与えていた北朝鮮は、次の日には許される?それで良いのか。

倫理上、軽犯罪の重過失者はその負債を一生背負うべき、それは。なら上の話を、簡単には許さない訳で。現実も実際には”そう”なのではあるまいか?その病が発症する、そこへ至るには数多の因果があり、許せる場合と許せない場合があり、その「許せない場合」とかに、重い障害が発生し易く直しにくい、とか。細々とした不満、過失、”それ”を超えて行かないと対処出来ない訳で、スイッチ一つで元通り、そう言う訳にも行かない訳だ。

この辺、仮想現実ならリセットで済む話だが、現実はそうもいかない、しかし。

現実が嫌になるそれは。果たして正義か否か。STAP細胞が無い現実が悪いのか?軽犯罪を繰り返した事が悪いのか。

結果でしか解らないのだけど。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「インポート」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事