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あげちうのブロマガ

嵐が去った後の空

恐怖感は薄れた、感じはある。

新型コロナウイルスは、アメリカの方ではもうPCR検査はやらない、インフルエンザと誤認してる可能性が高い、という話。日本でさえ、死者、重傷者とも、「風邪?」レベルに下がって来ていて。これ以上大騒ぎする、感覚には成れなくなった、幸いと言うか、オリンピック内部は感染爆発の様な事も無く、滞りなく終了。

最後に閉会式にちょっと問題を感じたくらいで、済んだ。

ともかく閉会式への「不満」は、無視出来ないレベルである、が。その結果として「原因」に対して責任を要求し得る、そう言う面はある。今、必要な事は新型コロナウイルスの脅威、その排除、ではある。その時?”これ”が「元凶の過失を軽減させようとして始まった虚構」と言うなら、”それ”を破壊する、事の方が優先される、かもしれない。

そうなった、かも。

その視点で、”それ”が上手く行ったとしたら?実際にはこれ以上の内容は期待出来ない、そう言う言い方も、ある。

「ウィザード」への、自身の過失に因る誹謗中傷、結果的に「貴方のそれは全然面白くない」そう言う提示になった、というなら。彼の足場は瓦解した、という、そう言う面は或いは、ある。


ここまでせねばならなかったのか?この、世界的な大イベントで”彼”のそれを出さねばならなかったのか、そこは大いなる疑問、だ。ただともかく?「彼のそれが通った」時、”それ”を止めるパワーは彼の判断以外は何も無かった、訳だ。彼の感覚では、敵が居た筈、だ、自身を止めようとする、そう言う許し難き邪悪が。”それ”は彼をこの重大な局面で妨害しなかった、出来なかった?パワー的には彼を止める物は何一つなかった、そしてともかく結果、それは「つまんない」面白くない、そう評され、終わった。

開会式とは異なる話、だ。開会式は自分も、アートスケールを持ちだし擁護?と言うか評価はしている。そう言うパワーは開会式には散見されたが、閉会式には何一つなかった、それは間違いない。自分の「表に出ない少数派を」と言う言い方で擁護に成っちゃう位だ、ほぼ視聴した全てが「なにこれ」それだけを残して去って行った。

テレビと言う、”それ”が発生させたかの悪夢、その、最後の一人、だろうか。

評価基準が無い中で、”税金”を投じねばならないメディアで。「良い作品を」その問いへの、要求への混沌とした返答の中で発生したかの、「私が神だ」そう言う、幾つかの。「官僚」と言う、本来はそう言う文化とは遊離した様な世界に要求された、「良い作品を」その問いと、結果としての破綻と、そこに残った魔物と。”それ”がここで破壊されたとしたら、あの閉会式にも、意味は有った事には成る。

「ウィザード」それが居なくなった、そう思って良い、のだろうか?

だとしたら、新型コロナウイルスも、もう単なる風邪扱いで良くなるのでは。

ともかく、競技中はやたらと盛り上がった、それだけは間違いない結果だ。
”彼ら”を追おう、そう言う意識は決して小さくない意欲として、芽吹いた気もする。

新国立競技場は、十分その役目を果たした、それは、間違いない。

 


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10792077
https://publicdomainq.net/fireworks-night-city-0057331/

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