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あげちうのブロマガ

誰も知らない道を目指す

”理解”は、大分分かりやすく?は、成った。

「二つのサイコロ」に、状況は支配されているのだ。


ただ”それ”をどう見るか?で、混沌はちょっと有る。

簡単?に言えば、「テレビ」と「インターネット」と言う、”世界”同士の協議で、現在の選択は決まっている。今までその対立の中で「私が神だ」を探すパワーがあって、どうしても神を名乗る存在に依存した部分を残した、が。何となくだ、一応?その辺は薄れた、消えた、退任して貰った、或いは殺した、”そう言う感じ”はある。

だから、その辺の後として。結論では二つの世界はその意向とは無関係に衝突し、紛争を常時起こしているのだ、が。それは両者合意の部分だ、「大賀さん」その辺で解決し、その決定に従う、という事には成っている。

結果、”その”最上位の決定がそれ以下の決定でもあり?末端での対立の結果、それは、或いは「民主主義」その決定、行動、選択それとして現れる、それが現在の絵。

その決定が、結局は「自身の意向は50%しか通ってない」訳で、どうも、不満は残っている、或いは理解し難い部分がどうしても存在し、不満はそこに有って。それが今も、些細な疑問、或いは紛争、その基点とは成っている。解っている事は、以前の様な100%に近い決定、そう言うのは「無い」事だ。民主主義だ、しかし。逆に民主主義自身に、何かの不安がある。

”これ”で良いんだろうか。

テレビは、「アメリカ横断ウルトラクイズ」みたいなのを求めた。インターネットは、或いは「関ケ原の合戦」みたいな動乱の様を求めた。結果?妥協案として、「領土を賭けてのクイズ選手権」という方向に落ち着いた。前者程には派手で無く、後者程にはアグレッシブじゃない、何とも良いやら悪いやら、前者も後者も微妙な顔をしてる中、それは先に進んでいく。

”それ”は、テレビの選択でも、インターネットでも無いのだ、第三のそれ。是非は?と言われても、どっちもこの時、”それ”を計る根拠を持たない、「大賀さん」その決定である。「大衆は神である」その思想で言えばそれが最良だが、「不満はある」のだ、それでは。不安と共に、選択権を民主主義に委ねている、それは何だか、不安だ。

民意こそが、その未来を決めていく、訳だ。「大衆は神である」思想的にもそれが正しいしかし。その結果として現在がある、それに対して自身にも、重い疑念と苦痛は実際はある。「ウィザード」その暗躍を許し、破綻せずに良かった、と言う”それ”で安堵してる、損失は膨大である、にも拘らず、その様にしかなってないそれは、果たして最良なのか?

”世界”の危機は、相変わらず、或いは善意の中から始まる訳だが。

 



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