お盆期間が始まっているというのに、コミケの存在は、或いは悪夢と共にある、のかもしれない。
そこに有るのは「創作」への、何かの期待だ、そして。それは実際には利益に繋がっていない。
か?というのは、ちょっと実際は解らない。自分の感覚よりも、世間は変化しているのかもしれず。ともかくコミケは「創作者がハメを外しに行く場所」である、普通は絶対に描けないようなネタを盛大に放出する、というのがまあコンセプト?ではあり。それだけに激レアネタが玉石混合、大量に存在。そう言うのを期待するファンには楽しく、”プロの”創作者らも何かのガス抜きとして、それは良い空間には成る訳だが。
・・・ただ、この空気の中で未来を夢見る、というのは・・・ちょっと違うかもしれない。
要するに、「創作者を志す人々のルートが混沌としている」それは、もちろん昔からなのだが、今もって残る懸念では、ある。そういう夢も、コミケは抱えてきた経緯はある、訳だがしかし。広告代理店の問題か、ともかく「責任者?やります」が、言える人々と言えない人々が居て。マジンガーZを好む人々は言えるが、マクロスを好む人々は言えないのだ。そして現状、後者の方が創作の領域ではパワーはある、数はともかく。依頼されなければ利益も得られない環境で、その依頼その物を、現状は遮断されているから、だ。
彼らは、マクロス派を追い出すから、だ。故にか供給は、今はマクロス派が握ってしまっている。
テレビのそう言う影響は、世間全般に影響し、「責任者に成るのは嫌です」無理ですダメです生活が破綻します、という・・・それが主流になってしまっていて、そして、出来る、意欲のある人々は、テレビによって否定されてしまっている訳で。彼ら自身にも過失はあるかもしれない、リーダーシップとは一歩間違えなくても横暴と同義ではあり。それによって切り捨てが発生する時、彼らはその領域の魔物となって全体を殺してしまう訳だ。そんな経緯で、責任者の継続が出来なくなっていった、意欲のある人々はテレビを通じて社会に否定され、生活?が成り立たなくなっていく。意欲のない人々は余裕が有っても頑なに拒絶してしまいそれをテレビは肯定する、そんな状況。韓国も似たような話はある、大統領に就任する存在は最後、罪人として糾弾され投獄されていく定例それは、ただの生贄でしかないのでは。
そう言う意味で、この先に有るのは「責任者の居ない世界」であり・・・それは社会の停止をも意味する。行事は参加せねば成らない、家は綺麗に維持せねば成らない、学校に行く必要があって、社会規範は護る必要がある。結局は「リーダー」その理想の絵をある意味で強要されているにすぎず、それが「良い結果になる」からこそ意味はある訳だが。良くも悪くもストレスは重く、そして居なければ、そこには「意味」を失った十戒、みたいな事には。
「責任者は、責任取る為に居るからな」
マクロス派は、良くも悪くもその声の趣旨を全否定する、訳だ。
言い分と言うか、現れるモノにも道理みたいなのはある。VF1バルキリーの変形には無理がある、が。”それ”を「経営」と「実務」と「接客」と例えば定義する、そのだんご屋は、全てを一人で切り盛りしているのだ、が。一般論で「普通」に見えるこれは、実際には無理がある、せめて接客だけでも別の人に任せるべき。「居ないんですけど」やらざるを得なかった人々は、しかし。その後も状況が改善しないまま消えていった、訳だ。実感的にも無理はある、それは「無理」と言う声なき声の様に、そこには現れているのかも。
それがでも、コミケの会場には或いは、まだ残って居る…気はする。
一人で描いて一人で編集し一人で売りに行く事は、出来る。対価は「楽しかった」だけで、それは何時まで続けられるか、そしてその先は有るのだろうか。そもそも、そんな作品は売れるのか?ではあり。
「お金を稼ぎたいなら、コミケには行かない方が良い」なら、何処で?
それは今も、ちょっと明確ではない。