ともかく、「働いては居る」その認識を得る事は出来る。
その意味で、一つの有用はあるのだけど。
自身の構築した物、”雅”市場、ストリードの連携、大賀さん、そう言う構造的な何かは、十分な強度と道理を持ち、「増える」それを具現化はしている。「価値」と言う点では∞と言って良い継続性を持って、”それ”は必要分の供給を可能にはしている。「価値」と言う視点では、必要なモノは幾らでも配れる、と言うのは有るかもしれない、もちろんそれもまた、「大賀さん」その神判を通れば、だが。
と言う時、現状、創作の利益性、そう言うのが大事な状況では、ある。その価値の増大が、経済を活性化させる事には成る。故に、”それ”を視聴する、と言う事には相応の価値が、意味がある、訳だ。貴方がテレビを見てる時、誰かは働いている、その「最低時給」をキープする為に貴方はその作品を(或いは報道を)見てる、と言う、それは道理として通しても良さそう?それは社会的に「貴方は必要な存在です」と言う、そんな意識を与えてはくれる…筈ではある。
そうであれば?高齢者がテレビをずーっと見ていても、別に存在を責められる言われも無い訳だ…「社会に必要な事をしてんだよ」それは、結構重要な話。
また、「直接は対価を要求しない」製作者らにしろ、広告費、それを請求する理由、それには成る、と言うのはある。理解としては「視聴者の得た価値の内、1割は製作者に帰る」と、そう言う感じ、だろうか。曼荼羅的な感覚だが、”世界”は0~9の集合で出来ていて、その中の”その人にとって0に相当する部分”は不要と言うニュアンスになる、それは捨てる時、それは異世界を通り作者へ変換される、事に。
あくまでも、「価値」そう言う感覚の話だ、そうであれば、どうとでも成る、部分はある。30分番組を、100万人がフルに視聴していたら、30分×最低時給900円×100万人×0.1で、まあ4500万円分の「価値」を、制作側は得ている訳だ、「評価」そう言っても良いモノ。”それ”を蓄積する事で、何かの、制作側としてのランクが上がっていく…そう言うのは、ある。そのランクは単純に、”発言力”に変換はされるのだろうか。そう言うのを蓄積する方が、世界をある程度は変える力を得られる訳だ。「大賀さん」その戦場では、それは重要なパワー。
”それ”を換金したら、逆にランク的な物は下がってしまう?としたら、換金はしない方が良い…そう言う場合は、有るかも。
換金に付いては「”雅”市場」そのルールが適用されるだろう、「良いと思う」が集中する時、それは、実際の数値には成りやすい。
何となく不思議な否定感と肯定とがせめぎ合っては居る。
とは言え、失う訳には行かないモノと言うのは、時に。
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