あげちうのブロマガ

とある自称する帝の呟き

状況は改善してるのか違うのか。

「牢陽帝」そう、表現したのは、ぶっちゃけ”自身の状況”その主観的把握だが、それはより深刻さ?を深めている、感覚も有って。

ゲームと言うのが、何故認められない?のか。

「この敵、倒して良い相手なのか?」

特に自身の思想?それにも関係する、「二択の最後は大賀さんで決着にしよう」つまり、この時の対立する両者は最後、テレビゲームの前に居る事に成る。家庭内ならほほえましい光景でさえ有り…この時、どっちが勝とうと、この両者は双方、「どっちも排除する存在じゃない」訳だ。

結局、既存のテレビゲームと言うのは、”その”どっちかを排除しよう、的なニュアンスにしかならない。

人間を神様にしよう、という帰結は…何かの重大な空虚さ?それをそこに残す事には成る。

となると?結局は、良くも悪くも「自分の要望」で創られた物にしか、何かの安心を置けない訳だ。牢陽帝自身にも理屈はある、異世界理論、脅威”それ”は、外界からの侵略である。魔物の完全排除は出来ない、その都度倒し、追い払ってこそ、逆説的に「価値」はそこに発生する。その結果、隣接する世界同士は何かの拮抗状態になる、のだ。結果は神のみぞ知る、だが、世界の境界線とその個性とは、そんな感じで成り立っていて。

しかし、という理屈は、既存の創作にはほぼ、無い。

その辺も、重大な喪失感の元、かもしれないし、そしてまた、「なんでダメなのか?」への返答として、適当じゃないそれもまた、不安要素ではある。”一般論で”評価の高い要素、そして自身の願いも盛り込み、コストを投じて”理想”を構築したモノが売れない、牢陽帝、何故これを認めないのだ?

それは私が考えたモノじゃないから。

牢陽帝の、何だか不満そうな呟きである。

概念上、”その環境”は、「牢陽帝」が創った物だ、少なくとも全て彼の領土、或いは肉体の一部でさえ有る。環境を守らんとすれば?自身の健康を維持する事が最重要課題であり、その為には、「余計な物はいらない」訳で、結果、如何に良い物だ!と言われても、最終的には自分の求めたモノ以外は必要無い、事には成る、安心を置けない。他の存在は全て、牢陽帝に依存し、我意を優先する存在で、”だからこそ”その他では不適当で、そうじゃない牢陽帝が、一人、やむを得ずか、「神様に成っている」訳で。

ここが世界その物だ、と主張するなら?その神の意向には、逆らってはならない訳だが。
結果、その神が認める、求めるそれは、かなりの個人的な指向性それを持つ事には成る。

MMDの、エロティックな?動画を眺めつつ、思案はする。

正義は何処にある物か。

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