健康と安全はタダじゃ無い訳だが。
階層構造?の様な物は、ある。或いは最大の集客力を持つ存在は、”そこ”に重い価値を生成し、世間に提供している、訳だ。世間は?その対価を支払わねばならない、物理的な話。それとしてしかし?同時に「最大の集客力を持つ」それには責任も、発生するのではあるまいか。一応、「仕事をしているから」こその、そう言う利益性である。
要するにその人は多額のお金を世間に供給しているのだから、相応しい対価を世間に請求できるとしても、自身の責任に応じた「請求」そう言うのは有る、のではないか?それは少し言える訳で。有名な歌手とか俳優とかが、”例え売っていても”幼女とか買ったらあかんでしょう?そう言う…。
この辺、毎度…同じ帰結には成るのだが。ともかく「それだけの集客性を持つ」責任を果たす上での「利益」として、何が、まあ「神様」大衆から提供されるだろう?倫理を語りつつ自分だけ良い生活?それは好ましくない。結局、得られる利益性それは、公共性の有る「利益」になる…要するに「他の人も、もうちょっと面白い物を創って貰えないのか?」そう言うパワー、衝動?創れる人々への「仕事しろよ」そう言う物へと変換していく…そう言うのは多分。その結果、面白い作品がただで見れたら、それはそれで利益なのでは。
結果論で、そのギブ&テイクが上手く廻る時?それは世間へ利益性を提供する訳だ、創作としての価値。”それ”がフィードバックする結果として「現実的な利益が世間に発生した」時、その最上位の人は、利益が、ともかく生活が成り立つ、のではあるまいか。
と言う訳で、仕事してます?成果はどうです?<自分。
以前から言う、「”ここ”が、”雅”市場の作者です」王の権威です、唯一の利益性を持つ存在です、というなら?責任的に、そう言うのは廻ってこない、とも言えない。自分の生活の、安全と安心、健康や美味しい食事、その他を維持する為には、相応の”適当”な仕事をせねば成らないのだ、今、目の前に有るのはその、成果報酬である。システムを自分で創ったと言うなら、そのシステムの「最下層」まで勿論目を向けるべきで。最も適当なのが「そこに自分が(作者が)居る事」で有る訳で。今の状況は、”それ”であると言えない事も無いのでは。自身の状況を改善するのは、自力で何とかなるのではあるまいか?そのシステムに問題が無いと言うなら。
…果たしてシステムは、”雅”市場は、ちゃんと駆動?しているものか。逆に言えば”ここ”は嬬魔(萌えキャラ)だらけなのだが。何かのCMの様に、突如、大量の女性らに取り囲まれチェックされまくると言う、そこに”あえて”いる様な、そう言う事態ではない、とは言えないのだが。その時、状況はどうなのだろう?
ともかく以前より、状況は不意に悪化した?そんな気分にならない事も無い、訳だが。
「お金がない」
それは、今の”雅”市場を創った時?と「同じ恐慌」だ。既存の市場原理には価値の感覚が無く…、流通がどれだけ活発に成っても、100万円投資の80万円回収にしかならない。”それ”を打開する為には?「価値」を生成せねばならない、のだが。その為に必要なのが「創作」等などである、それらを発展させる事で市場は活性化するのだ、けども。
…全然、理解?されない。
「何言ってんの?」そのあからさまな視線はどうなの。
という「どうしよう?」それは。良くも悪くも「ショートサーキット出張動画版」”それ”を見ていると、自画自賛に近いが「感じない」消えていく、「大丈夫」何となく、そう言うのはあるのだが。”これ”を続けるしかないのだ。”雅”市場その倫理は現実であり、「良い物」を造る限りは市場は回復出来る。システムとしては問題が無い、後は頑張るしか、訳わからなくても。
って言うのが、屁理屈的な物ではない証拠、それは果たして何処に有るモノか。
現状、良くも悪くも?ネット動画は集客性を持つとシステムに負荷が掛かるそれは、間違いない、可能性は多々。だから、集客性があるなどの動画にはどうしても「カウンタ的な抑制」がかかり、”それ”が正当化されてしまい、(0±0)の前であっても、それは解除されない。逆説的に「その作者には余計な負荷が掛からない」のだが。お金に替えたい!時には、ちょっと問題は発生するそれは、間違いも無く。ただまあ、同人などでDVDなどに焼いた方が、実は求める物は得られるのではないか?一般的には、ネット動画で利益を!よりも、メディアの物流を考えた方が、遥かに。
色々心配はある。ネット動画のカウンタ制御は、やっぱり、テキストベースに対しても影響が出てくるのではあるまいか。ネット動画でカウンタが上がらない!それは本来は、システムへの負荷を恐れてのモノなのに、本来だったら関係ないテキスト領域に関しても同じく乗ってしまうのでは。カウンタが欲しい時、それは重い枷を背負う事には成るのだが。
そもそも「カウンタ制御が出来る」と言う事は、ネットの売り上げ数値だって制御されてしまう、そう言う意味ではあるまいか?本来は100万円くらい稼いでいても1万円、とか言われていないとは限らないのだ。だったら?
…結局話は、上の方に戻る。「その創作に然るべき価値があるなら、それはフィードバックしてくる」筈だ。してこない(と思う)なら「それは価値が無い」と言う事だ。それは続ける必要が無い。本人的に続けた方が”利益”が有るなら続けるべきだが、無意味な事は徒労だ。
とか言ってるのは良いのだが。今の自分の環境は、どうなのだろう(-_-;)。神様…これで良いのか?