皇帝が、宣言した。
”領域”は不可侵である。
だから、その世界にはその世界のルールがあり、それを侵害する事は出来ない。
如何に皇帝の意向としても、その領域内でのルールの方が優先される。
その意向は絶対では無く、必ずしも通らないのである。
感覚的な矛盾は発生する。
皇帝じゃないの?
無理を通して道理を引っ込めるのが皇帝じゃないのか?
それだけの強制力を持つからこその皇帝でしょう?
…しかし逆に、皇帝は「それを宣言する」からこその、その強制力ではあって。
政治で言うなら「公約」マニフェスト、だ。”それ”に対して神は、有権者各位は、力を貸してくれる。
自分の身を守らんとしたら?その、自身を王にした、その宣誓したルールを侵害する事は、出来ない訳だが。
日本とアメリカで、感覚の問題は発生は、する。
日本には天皇制があり、良くも悪くも意識的な統一を成し得た国家だ、「世界で唯一成功した共産主義国家」その評は…的外れでも無い。単に、「戦争に負けている」アメリカの方が上位、そのロックが有るが故の、何かの抑制があり結果論で、昭和の黄金期があった。
対してアメリカは、基本的には侵略で成り立った国家であり。その所有権に関しては宙に浮いている状態がある、今でさえハッキリしていない。共和党と民主党、二大政党政治に象徴されるが、大統領とはその時代の勝者に過ぎないのだ。国土は誰の物でも無く、勝った側が支配する。そして”それ”は常にひっくり返される可能性を孕んでいる。アメリカにとって戦争それは日常ではある…良くも悪くもだ、感覚で、その銃を手放す事は、自殺行為に等しい。逆説的に、理想と平和、その代償ではあり、”それ”が歪む時、ラスベガスの銃撃事件に象徴される、銃による凶悪事件は起こるのだ。自由と理想と平和を目指さない時、アメリカそれは、いつ破綻してもおかしくないのであり。
…結局、ゲームは現状、殺伐とした戦争を題材にしか出来ない訳だが。願いと、その実践だ。戦争が仮想現実で収まればそれに越した事は無い。銃を持ちつつ、持たなくて良い状態こそが理想ではある、アメリカでは難しいが、ともかくゲームで撃ちあっている間は、銃は使う必要が無い。アメリカなら、「シャドウ・ライズ」”これ”が成り立つ理由、ではある(多分)。白だけが、黒だけが領域を席巻する!それは今もまだ、有り得ない。日本では考えられない話だ、”それ”は、やがて白に統一されるまでの過渡期に過ぎないのであり…これでは、直ぐに終息してしまうのでは?
しかし状況が白に傾く時、黒は妙な活力を呼び覚まし、巨人は暴れ、領域を取り返すのであって。
楽し過ぎか。
良くも悪くも、「皇帝が居ない国家」それが、アメリカではある。それはそれとして、人類史上、他に例を見ない特殊性を持っているのかもしれない、”国土全体が紛争解決機構的”な。アメリカの決定は今もなお、世界に対して重大な発言力は持ち続けているが…それは、そういう事なのかもしれない。対立の中から、その意向とは現れる。
アメリカは、神が支配しているのだ。