あげちうのブロマガ

気が付くと命が掛かった遊び

状況に変化は、ある。

その方法論は、利益を産まない。
損失だけを拡大していく。
その、ある意味での実践が、”ここ”だ。

そして。

その方法論は、”困ってる人”も助けはしない。

そんな方法論?を、何故「先生」と呼ばねばならない?


”そこ”は、「大賀さん」その前で、声として考慮する対象では無くなった、気がする。
仕事では無いのだ。

だから。

状況は良くないが、それでも少し、”軽くなった物”は有るだろうか。
そこは、或いは死んだのだ。

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