良い変化か悪いそれかは解らない。最終的には神のみぞ知る、ではある。
今までの「唯一無二」が消えていく時、その先にある世界とは、如何なるそれなのか。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「私は神を信じます」信仰はあらゆる無理を美しく否定するがしかし。
不意に声優の「TARAKO」氏の、訃報。さくらももこ氏の「ちびまる子ちゃん」その声優を35年も務めたという、人々の意識の何処かに”居る”人の一人、その再びの喪失ではある。急に、か。”昭和の道理”が大きな壁の前で阻まれている、という感じには成る。鳥山明氏がぶつかった壁は、或いは同種かの彼女の前にも立ちはだかった、そう言う感じだろうか。
今年に入ってやはり、”何か”は大きな転換点を迎えた、そう言うのは或いはある。
その一人の意向で、白も黒に成る、そう言うパワーは今、「壁」の前で止まらざるを得なくなった…それは自分の感覚ではある。ともかく「鬼滅の刃」のボスキャラ、無惨の様に、「私は正しいのだ、私がそう思ったらそれが真実だ」と、それを物理に適用しようとする意向、それが出来る力、”それ”は大きな否定を受けた、それはちょっと思った。その先に有るのはある種の絶望ではある、「無理」はある。しかし、ドラゴンボールの悟空は、それを超える事が可能な様な、そんな幻想は見せ続けた訳だが。
マンガの中では神であっても。そう言うのは、不意にあったのかもしれない。
良い意味でも悪い意味でも、鳥山明氏が超えられなかった壁を超える事が出来る奴は、もう居ないだろう。何かの独裁性、そう言うのが無理を超えてしまう、それは「出来ない」と言う結果に至った、気はする。ウクライナでも、ロシアでも。一部の兵士は自身の装備にえっちいアニメ絵のステッカーとかを張ったりしている、らしい。そう言う世界規模の、或いは「現場」の世界を、もしかしたら支配していた一人の”神”はでも、何かの壁の前で居なくなってしまった。
この先、「次の鳥山明は私だ!」を目指す人々の訃報が続くのか、或いは、ではある。
その時、今起きている戦争の決着はどうなるのか、それはまあ…まだ解らない。
一人部屋の中で、”夢”の一つが喪失した、否定された…気には成る。想像以上に、”それ”は何かの可能性か衝動としてある、それは不思議なくらいだ。美少女アイドルグループを「買って」かなり深刻に楽しむ、というそれは存在しない、のだが。愛人が10人くらい居る、という状態とはちょっと違うのだ、ゲームセンターのゲームの様に、それが出来る「消費していい女性ら」は存在しない、しかし。
ファミコンで動く沙羅曼蛇やグラディウス2、その「不可能が可能になった」その様は今も、”それ”が或いは存在し得る、その幻想を抱え続けては、居る。
マンガとは、何を目指していたのだろう?