あげちうのブロマガ

常にそこに有るトイレの問題

懸念と言うか。

「王の権威」のそれは、結局は全年齢対象、ではあり…アダルトビデオ、そう言うのは非常に対応し難い、と言うのは不意に感じる事ではある。現状の倫理?での帰結では、「女性を拉致監禁し云々したい様な欲望の持ち主は死ぬがよい」そこに有るのがどれだけ理不尽な結果でも、それが道理と言うモノだ、と言う感じ、だが。

この結果、このジャンルはほぼ、ネタを失う。それを作ったら自分で自分に「お前は死ね」と言う様なモノだし、そしてそれが通ってしまう時、それは或いは…世の喜びかもしれないが、当人には理不尽極まりない?話。

結局、アダルトビデオそれは、広域的な売春の容認、そう言う物でしかない、訳だが。

これはシステムの、欠損か切り捨て、と言うべきか否か、それは少し考える所。


「王の権威であれば、一文字10円」、と言うのは、システム的な対価、ではある。一応、今の内側にしろ、「内部的に増えてる」自然減を補っている、と言う結果を持つ上での対価、ではあり。現状、そこに居る全て?の「平等」問題ない状態、それが実現している事を条件に”それ”は発生する、と言う感覚だ、けども。売春の強要はもちろん犯罪である、そんな事をしなくても利益は得られる筈だ、それはまあ正論としてはある、しかし。

あくまでも、「王の権威」システムの保持者、その主観での問題だ。
現実はその主観とは、やっぱり最後まで、少しズレているのだ。
必要な物を切り捨てようとしている、その懸念は常に残る。

把握として、今は”外”の世界も有る、のだが、結論で言えばそこも似た様な感じ、だ。売春性は利益性が無い、のは解っている。切り捨てを創る必要は無い時、売春は無理して必要が無い。問題になるのが利益性だけなら、女性らだけで撮影させればそれで十分で、一応、撮影現場に男性が居なければ、それは売春に成らない、そう言う把握ではある。

「自分は」必要が無い、感じはある。しかし、そこに需要か衝動、それは重くもある。

「ネタが思いつかない」捕まった女騎士がゴブリンの群れから凌辱されてるウチにゴブリンが全滅しました、というそれは面白いか?と言うとこの感覚では”かなり否定的”だ。もちろん?このネタは今に至るまで「オチがない」と言う”それ”はあり、単にグロテスクに成っていくだけで、結局は否定しか産まない訳だが。しかし、何故か入口の衝動?それは常にそこに有る。

常に出ては来る。「薫風と菫の動物園」その檻から出る方法を探している。

それは有り得ないのだ。

しかしその時、「アダルトビデオ」それもまた、消える。

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