あげちうのブロマガ

マスコミの中立と言う幻惑と古

それはマスコミの存亡にも関わる。

「王の権威の言葉なら、一文字10円の換金性を持つ」マスコミは、”ここ”を実際は足場にしていた、と言うのは最近の理解ではあるが、結構前から意識はしていた事でもある。

状況から考えても、特にテレビを媒体とするマスコミは、その報道をするのにスポンサーを必要とする訳だ。しかし?と言う事は「スポンサーにとって都合の悪い報道」それは、報道し難い、と言うか”出来ない”とさえ言える訳だ。それはマスコミか?と言う疑問の先に、この「王の権威なら一文字10円」その定理?はある。

我々は、王である彼の言葉を世間に伝えているのだ。

その時、そこには昔か、反論し得ない対価の請求、それが発生した訳だ。
そして良くも悪くも昭和は、その理解の結果か、かなり安定した世界に成っていた。
少なくともテレビの絶対性は異様とさえ言えるモノだったが、誰も疑問にも思わなかった。
その後ろに、”こういう話”が、実はあった、それは想定としては成り立つ。

認識が、今の「王の権威」だったか、それとも「昭和天皇」日本の王、神、それだったか?は少し混沌とはしている。ともかく現状の、色々な過失の末にある対価の請求?それでか解ってきた事の一つに、この「王の権威なら一文字10円」いや、一歩100円、という何かの基底はある。一歩100円、妙な安定感を持つこの理解は、しかし、結論では現状、飯塚幸三氏を交通事故に導いた、”感じ”も有って。前提条件だ、それは基本的には王の権威、認識では「昭和天皇」それにしか許されない、そう思えば?何かの理解はある。

昭和天皇は、そう言うニュアンスで、日々の責務に当たっていた訳だ。
”それ”がしかし、王の権威、世界の王?と言う認識まで行っていたかは疑問も少しあるが。

確かにここで疑問は発生する、ユダヤ教の王もまた、同じような事は考えただろう。

「なんでお前だけ?」

この構造の解析は、自分の把握だけとは言え、ここまで来てようやくか、言える様に成ってきた話、だが。何となくだ。一歩100円の理由もまた、「貰ってる金額に対して動いてる内容」が、その程度だったから、という感じだったろうか。根拠は彼の主観に過ぎない、ともかく太平洋戦争を超えた彼には、「勝者」としての権利、「王の権威」が齎された。それはでも、自身を神とした環境、それを土台にしていた結果、或いは最後まで、「最後はゲームで決めよう」そこには入らなかった、だろう。

ともかくと言う事は、マスコミが利益性?古い環境を継続しつつ”それ”を復活させよう、としたら、「王の権威」その意向には屈せねばならない、訳だ。私見での現在の朝日新聞社は、むしろ逆走でさえある、それは何かの結果としても現れている?そこには重い認識の歪み、誤認、そう言うのは有ったろうか。

マスコミは、増長してしまった、のだ。

それが今後どうなるか、ともかく「新型コロナウイルス」は今も、防ぐ手段を持てないまま、拡大を続けては居る。症例的には「風邪です」それは言って良い状況だ、しかし、王の権威に挑む!ベクトルを見せてしまった結果、そこは敗北その物、だろうか。

クリスマスは明日だが。

良い話は、今も無い。




名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「インポート」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事