あげちうのブロマガ

先の無い民主主義が産んだ過去の神像

状況的には、グレートマジンガーを選択してマジンガーZを棄てた後、ではある。

なんでかお金が増えない、減っていく一方。しかし、今更ではあって。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

「昔はこの辺も流行ってたのにね」少し所帯じみた彼女の、不意の

 

感情論は同意もする、「つまり、永井豪先生を、神と崇めろと言う事か?」それはそれで、ともかく永井豪氏も困る話、だ。実際問題、”その後”は彼であっても明確にヒットは、無い。どうしても「そういう話」に成ってしまう、そこに問題もある。

結果的にはその後、「機動戦士ガンダム」それが興て紆余曲折の末に今に至る、訳だが。ただ問題は、ガンダムは”神”には成らなかった事、ではあろうか。あくまでも紛争解決機構に徹してそしてそれ故に、今も、問題そのものは残ったまま、ではある。

マジンガーZをどう作ればいいか解らない。しかし、グレートマジンガーでは利益に成らない。

後者はまだ量産は可能だ、が。後者が利益を産んだ、というのは…その後もレアケースではある。

経済的な話を言うなら?「マジンガーZを」量産せねば成らない、のだが。「それが出来たらやっている」やったつもりなのがグレートマジンガーではあり。その後の、グレンダイザーさえ量産出来なかった、みたいな帰結はある。「なんで?」そのくらいに、創作での利益というのは実は面倒というかレアケースだった、という現実の中で、一部は断言してしまった、そう言うのは多分。

創作で稼ぐ事は無理だ。

昭和が終わって、それは物理的現実として現れる事には成る訳だが。結局令和に成った今でさえ、それは明確には打開されていないし、打開する気も無い、というのがまあ現実ではあろうか。言ってしまえばグレートマジンガーに金を払い続けている、訳だ、”現場”の必要よりも広報的な絵面を優先した感じ。しかし、実際には今も、任天堂は配管工の兄弟に依存していたりする訳で。ある種の年金に世界全体が依存する中、”それ”が終わったら?の悪夢に今も、世界は飲み込まれたまま、という事かもしれない。

要するに、マジンガーZを創ればいい、訳だけど。

「つまり、永井豪氏を神と崇めろと言う事か?」

その返答は、今も深刻な否定と疑念でその先への道をふさいでは居る。

ともかく「グレートマジンガー」に舵を切った人々は今も、その先は無い、という現実を認められない、という感じではありそして、後の世代にしろそれを越えられていない現状は、ある。当たり前と言えば当たり前だ、単なる劣化コピーは装飾を重ねようと劣化コピーでしかない。ただ?劣化コピーなら誰でも出来る、のだ、そこには差別も格差も無い、平等があると言えばそう、0は全てを内包する。

ただそれでも、現実的には0と∞は多大なる違いを内包はするのだった。

一応、最近「アートスケール」以前に定義した創作への物差し、それが評価的には有効である事に気づきはする。例えばマジンガーZ。

「マジンガーZ」
主題 世界を守る
情景 侵略者と戦うマジンガーZ
描写 少年漫画の
注意 ロボットである
主張 操る人次第
矛盾 何で一機しか?”自衛隊”の象徴だから

これには明確さはある、高い数値は期待できる。ただこのコピーとした時?グレートマジンガーにはイミフな部分が多く同じ数値には成らない、と主張は出来る。一番の違いが「パイロットはサイボーグ(改造人間)である」と言う点ではあろうか。マジンガーZがその必要性なく運用されていたのに、その必要は何処に?しかも劇中では後半、単に装甲面を強化しただけのマジンガーZが助けに来たりする。グレートマジンガーは何がグレートだったのか解らないまま、それは微妙に失敗した訳だが。

”この”数値が高い作品を創れるなら?それはマジンガーZと言って良いのでは有るまいか?

それならそして、永井豪氏を神と崇めずに済む、事にも成る訳だが。

ともかく、マジンガーZは良作だった、それは間違いない訳だけど。

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