あげちうのブロマガ

真理という邪龍に見える何か

状況というか、認識か理解が混沌としつつはある。

正確さに欠けているというべきか、同意の薄さは、ちょっと不安だ。

「カウンタ制御」ネット動画などのカウンタ数値が、”誰か”の任意で弄られてしまう、それは結局、社会的な切り捨て、それを創る”理由”にはなる。とは言え、それ以外のセーフティネットも構築は出来る、「人力発電機」そういう物の導入。”電気”なら今の社会、売り先が無い、という事はほぼ無い。雇用対策として用意する、それは環境にも配慮した良いアイディアではあるまいか?

”それ”を結論では、今の「カウンタ制御」は切ってしまっているし、それが通っている訳で。

”それ”が目指す理想社会と、こちらの想定する理想と、それはちょっと相容れていない。

 

「大衆は神である」時、そこには最後の壁はある、民意。

”それ”がその問題を問題視してないなら、正論であってもその先には進みにくくなる。

”神”の意図は、その時不明瞭だ。”神様”であっても、その時は出来ない事が出来る。今は「大賀さん」その紛争解決機構を置く事で、自制?の理由その終端にはしているが。それでも、納得できない、そういうのは残る。結局、昔からだ、”そこ”にぶつかって、神に失望し、それは道を外れていく。そこには重い同意、「無理もない」そんな”民意”は有る。

事態に説明と言うか、理解?は出来る。状況で言うと、「紛争解決機構」今でいえばガンダム、それがあるのだ。”それ”は対立の中和こそが糧だ。それを中和する際に発生する「お金」が社会に還元され、自然減を補い?社会は何とか成り立つ…訳だが。この時逆に、対立する問題の発生、それの抑止は微妙に否定される、訳だ、対立が起きなくなると困るから。ガンダムが必要である、とするなら、ストレスも逆に必要な物、になってしまう。結果か、現状は「これでいい」それで固定され続ける事になる、訳で。

その対立の狭間、或いは渦中のそれにとっては、なんとも心身をすり減らすストレスが続いて消えない、という・・・そういう事にもなる訳だが。”それ”が、しかも、自身が信仰する”神”の存在故にそうなる、というのも、状況の理不尽、その一つかもしれない。

もちろん、”神”というのが自身にとっての便利なツール、ではないという理解はあるにしろ、どうも。

人間の限界、だろうか。

今までに起きている、主観的な「理解」の変化だ。

ウクライナ側が、原発施設を攻撃した、という事は「核兵器の使用を宣告した」事になり、勝敗はウクライナの負けとして終わった。この結果、ウクライナを支援してた「旧統一教会」それもまた、社会的な「敗北」に陥り、或いは持っていた権利、それを喪失する事になった。

その結果、「アルカディアというゲーム機でゲームデザイン出来ない人の創作は、店に並べません」というのが正論化、した。

これは、そこに或いは神の声がある訳じゃない、単に正論として、反論し難い、だけだ。アルカディアは後進国を模したゲーム機だ。このゲーム機を発展させる事が出来るなら、後進国の危機を打開し得る。それが出来ない創作者は要らない。これは今、反論し難い。

しかしその方向で、数学の虚数それもある、としたら。”それ”が発生させる混乱もまた、その表裏としてどこかに現れる事になる、のかも。

そういう物だろうか、真理というのは

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