事態は深刻さもある。
昭和の頃、それは良い時代だった。
だから、人々の多くはその継続を求めた。
その時、「昭和天皇」それは、或いは無償で密かに人々を護る、そう言う存在だった。
だから、次の「王の権威」それにも人々は、”それ”を求めたのだ。
…しかしこの結果、権利関係その他がかなりグタグタに成ってしまって。
そこに寄生してしまった存在も、やっぱり何かの要求と共に、そこに巣食い続ける事には成った訳だが。
ともかく先の漫画家Fは、結果論で言うなら「漫画家では無かった」或いは原作者でさえ無かったかもしれない、そう言う、つまり彼は一種「詐欺師だった」訳だ。アシスタント?仮にS女史としようか、それはそこに関わってしまった漫画家志願者だった訳だが。佐村河内の詐欺行為は記憶に新しい。そのゴーストライターをしていた新垣隆氏のそれは、良くも悪くも「何故?」が理解出来る、そのメディア映りではあり。18年間発覚せず、ある意味で「搾取され続けた」実例と、或いは漫画家Fの話は似た様なモノとして存在する。
多分。
そうで無くても今も、余計な混沌は数多そこに有る。漫画家Fとの関係に関して、それはそれは、余計な推測は幾らでも可能だ、それが存在しなくても、デマであろうとプレッシャーには成る。”それ”を表に出せない時、漫画家Fは、漫画家Fとして認識され続ける訳だ。「王の権威を前に出す訳には行かない」昭和の頃、昭和天皇が文化面で強い影響力を持っていた事を、表沙汰にする訳には行かない、そう言う感じに、その時。S女史もまた、理不尽な壁の前で、何かの損害を耐え続ける事に成った訳だが。
「王の権威」それを前に出そうとする、それは強力な独裁者を作る事にも他ならず。それは今もまだ、微妙に否定感が重い。本来、”ここ”はその自覚さえ無かったのだ、だから、「不当である」それを軸に語り続けてしまった訳だが、結果で今も、自分自身の法でか、それは前に出る、そう言う事態に鍵を掛けてしまっていて。
”ここ”は、昭和天皇では無いのだ。
それでも日本の文化面の構造は、そう言う視線を今も、”ここ”に向けている。
太平洋戦争の継続として、軍国主義の起点を否定する時、昭和天皇には問題はあまり無かった、単に”それ”を民間人が背負うには問題が多すぎた訳だが。「正義」その起点は今も、微妙に曖昧だ。「大衆」神の神判に委ねる、時。それはでも、果たして最善と言えるか否か。
先に出た「否定領域」それを考察中、不意に「紛争解決機構と言う概念は、誰が始めたのだっけ?」そう言う空気が不意にあり、だから、通そうとしたら。
「機動戦士ガンダムGF(グレートフォース) ノーサイドフィールド」
ガンダム化する、かもしれない、ロイヤリティの提供を考えると、何だか。
そしてその時その前に、その「漫画家F」その問題が何でか有る、訳だ。
正論それは今も、微妙に混沌としている。