「お金が幾らあっても足りない」と、そういう感じ、だろうか。
古い時代を捨てられない時、そこにあるモノと共に、それは捨てられていく。
何かの壁の前で、奇妙な焦燥と共に、本日の「ロードオブロード」進捗。
「ロードオブロード」3r 第13回目
前回の状況
スコア23、要求127、借金最大ー72
1.領域パーツ選出
本日のダイス
白:5,4:9
黒:5,3:8
白9 5453
「要求」127+9=136
パーツ
123456
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5453
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2.領域形成
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3.不足補填
前回の残骸 無し
3,6(┏┗)不足、形成。
56:2回
455613:6回
4.報酬選定
不足補填あり、報酬査定、1D6→5
コスト消費 23-8=15
スコア 15+5=20
5.現在の結果
借金最大 ー(72+6)=ー78
スコア20、要求136、借金最大ー78
それほど悪化もしていない、のだけども。
まず、去年に引き続き、今年も余計な出費とその結果に、微妙に失望中の現状では、ある。去年よりはマシだ、まだ環境の改善はある、が。それでももちろんか、”今”の標準という環境には届かない…のが深刻さなのかもしれない。自分の意識の中では?今だってか、ゲームとしての標準環境は「switch」ではあるのだ、或いはスマホ。ただ間違いなく、自分は或いはもう、”そこ”には居られない?という状況ではあるのだが。
PC環境としては自分は、なんとも捨てられた世界の中にいる。
経営者、的な感覚で、今必要なのは小さなノートパソコンで良い。プランを書き、それを提出する。技術的な物は必要ない、単純な数値のつじつまが合っていればいい、その流れは今のところはまだ、破綻した訳でもなく。職能ランク制度、として提案した「機構」それが存在すれば、雇用されている限りは最下層の生活は安定している。無いというなら、それは経営側の問題だ、国の制度その他、つまり改善する余地はある、が。
”表側”が、それに届いていない、という事になるのか、それとも。
ともかく、「足りない」届かない、そういう意識は、少し重くある。今まで自身を支えてきた”全て”が今、何の意味もない、という様な…そんな事態という事だろうか。”技術”は今、必要とされない場所にいる。
だからだろうか。
ちょっとこのところ、八つ当たりに近いのだろうか、「グラディウス」と「ゼビウス」その、意識的な対立に敵意を?向けてる現状はある、意味があるような、無い様な。”意識”的には、ゼビウス側が官僚主義で、”それ”が侮蔑されたグラディウス側を異様に敵視していた、事が問題の発端で。それはまあ、現状の中では「官僚は、別にゲームなんか作りたいとも思ってなかった」なのに、という帰結に至って、現在。当時の昭和天皇にしろ、「資格がない、辞めたまえ」が出来ればそうしている、が。天皇という立場では”それ”が出来ない、という事が、現場に対しても、何かの「要求」をしていた、というのは有るのだろうか。
ともかく、自身の後継者がいなければならない、のだ。なのに、他に誰もいない。
だから?ともかく誰でもいい、然るべき者を、それを探した?
官僚が、何かの創作をする、というのはちょっと向いてない部分は有ったのかもしれない。当時の担当者にしろ、有能でも「俺はゲームの事なんか勉強してない」そんな不満はあった、と思えば少し納得はある。なのに、ゼビウスの出来に天皇から「君には失望した」まで言われてしまう訳で、そこにはまあ、重い憤りというかはあったろうか。ともかくその後の結末、フラグシップ的な官僚、飯塚幸三氏が、あの事故を起こした、経緯の様に。官僚主義では?結局は誰かを生贄にしてしまう、それを避けられない、というのは有るのかも。
当時、昭和天皇は、「次の王の権威」それを認識していたのだろうか、それとも。
当時あった「世界が滅ぶ」様な雰囲気、それはそういう感覚に、何だか合致していく様な。
なんとなく「官僚に創作を要求したのが間違い」という、そんな結論と共に、不意に今、グラディウスの作者は居なくなり、ゼビウスの作者はそれを辞めた、そんな意識に成って、少し、常々の問題…それは少し対処し得る様になった・・・気もするが。
多少だ、「問題行動へ突撃していく」そういう衝動?みたいなのは、少し抑制し得ては居る。
ただそれだけにか、何かの重い失望、「無理だ」もうダメだ、そんな感覚にも、成る。
未だにか、明確な換金性、「こういうのを造ればお金になります」それは、実践できては居ない。
それはつまり、官僚の理解にも、技術者の感覚にも、”ここ”にあるモノは「価値」それが無い、という事だ。人々を強引に動かす事も出来ず、或いは数多の中で最良、という訳でもない。そんな凡庸さにある価値とは?両者は今までにしろ、この環境を換金に関しては全否定し続けた、訳だが。
その両者が今、”ない”状況には、ある。
しかし「今まで通り」それは、直ぐに消える物ではない、のか。
「前に居る人」とは、それでも民衆から求められて、そこに居るのだ。