意識の問題だが。
人力発電機は、大型の貯蓄電池に接続されている。
人力発電機は”そこ”に接続されており、発生した電力は備蓄される構造で、更に”自分が供給した分だけ”お金は支払われる。
手にしたお金を、その構造に対して「消費」すれば?その間は電力が供給され、自転車を廻す必要が無い。
その間は、自身にとって必要な”他の事が出来る”訳だ、「有意義な時間」それは働かねば手に入らない。
と言う構造を、許容しないと、経済的な破綻は、どうしても現実に成ってしまう。
ともかくこの構造が有る時、働けばお金は間違いなく出る、訳だ。備蓄もされる結果、過剰に働いてもそれはむしろ安定にさえなる、誰も自転車を廻してなくても、電力は備蓄されてる分は供給されるからだ。この構造を創る上では、接続する”全て”が、この構造を必要とし、同意せねばならない。お金を得るには働かねばならない、そのお金を消費しなければ、「有意義で自由な時間」それは買えない。
”この”構造が有る時、経済的な不安は働いてないから、で、安定は、働いてるから、でしかない。
ちなみに、アインシュタインの相対性理論それは、世界最高の金持ちが、或いは彼を世界最高の頭脳と認めた上で、期待した理論である。この理論には、”この構造”に対して記述はもちろん無く、そして「黄金が発生する」と言う概念に対しても全否定がある、錬金術など手品か詐欺でしかない、それは不可能だ。
”ここ”は?
その辺のヒキニートが、勝手にネットにアップしてる理論?と言うか、妄想に過ぎない訳だ。
「大賀さん」上では「死んだ」認定に成った人でも、この一般認識を否定はしない。そこに居る限り自身は敗者では無いからだ。どれだけ借金があり、そして返済不能に陥っていても、「何かの間違いだ」その方が強い、”ここ”の言ってる事は何もかも間違いだ、アインシュタインの相対性理論を前にしては単なる漫画より意味がない。
この時、「正義」それは何処に有って、こう妄信する存在を断罪し罵倒する、それは正しいか否か。
「役立たずのゴミはさっさと出て行ってくれないか」
結論で、これが一番正しいかもしれない訳で。