「役立たず」感はある。
マスコミ、報道に関して、だ。
今だ、権力の暴走を止める、と言う”それ”が出来てない。
権力を監視する筈が、”全く監視できてない”訳で。
「何をやってんだ!」そんな、不快感は不意にある。
とは言え?マスコミにしろ混乱?はある。
何をどうすればいいんです?
或いは”マスコミ”の過失ではある、余計な正義を圧したら現場の無関係な家庭が破綻してしまった、と言う過去が或いはあるから、だ。”それ”を恐れる時、権力を監視しようとして”何か”をする、事が出来ない。しかしそうなると、結局は報道は、何も出来ない訳だが。”そこ”に、何故か「何とかしろ!」その罵詈雑言が有る。
存在意義を問われている。
しかし、朝日新聞社の元社主、村山美知子氏は、亡くなってしまった。
そもそも”これ”は、この人が残した歪みの一部、だろうか。
報道が、何の為に存在しているのか解らない。
ともかく権力を監視する、その”要求”を満たせない。
問題ない範囲、それを続ける限り、何故か、罵詈雑言は止まらない。
マスコミはただ、世間に起きた事例を解りやすく人々に伝える、それが使命だ、それ以上の要求は本来は無い。新型コロナウイルスにしろ、世界各国の医療が崩壊しそうであり、武漢では再び再炎の可能性があり、日本でも罹患者が増えていて、非常事態宣言が出そう、それは報道としては事実だ。事実以上を語る事は出来ない、余計な事をしたら、またどこかで。
報道の仕事は、世間に起きた事を解りやすく、人々に伝える”だけ”である。
問題を起こさない為には「仕事」それをただ、続けるだけだ。
二度と過ちを起こさない為に。
分を弁えねばならない。