現実はある。
実際の現場?で求めているのは、或いはブルーガンダムであり、メンテナンス性や部品の調達などに問題があるゼータガンダムや、もちろん勝手に暴走してしまうユニコーン・フェネクスでもない訳だ。どれがいいか悪いか?は個人の主観であり、その場の必要性だが、ともかく実用性を問われれば、ブルーガンダムが考えられる最高性能、とは言える。その視点で言えば、例えZ2であろうと、いらない物はいらない。
衝動としては、Zガンダムこそ求められなければならない!が、実際の現実としては過剰である、正直、ブルーガンダムでさえその感覚はある。「最も優秀な個人」に全てを制御させれば問題は出ない、とかそう言う最終的な帰結と、そして或いはその現実は具現性を何とか持ちうる?としても、それは必要か?と言われると、かなり大いなる疑問だ。
とは言っても、「私はゼータガンダムを求めているのだ!」それは無理がある。
ガンダムの感覚、「ガンダムは100、ザクは20、なら?ザクはその20で何とかせねばならない」と言う、その領土とそれに対する理想には、ストレスが有るのも間違いはなく。自分は領域が5しかないザニーの地に居るのだ。ここで実現し得る事は、ガンダムの領域なら20倍の成果を目指せるかもしれないが、ここでは”最大で5”だ、それ以上は過剰。ここを好み、ここで生きている限りは、その範囲内でどうにかせねばならない、”それ”が正義である。それを超えよう?それはそのまま、他国への侵略戦争となる。
そう言う意味では、か。ガンダムの地から排斥され、やがてザニーの地に居る存在には、この地で出来る全ては不足感がある、訳で、そこに有るストレスは、どうしても動乱の元になる、それはあるのかもしれない。
現在、感覚では無人島で一人、PCを弄っているのだ。
その結果で、自身の状況は変わる。”そこ”で何を創れば良い?と言うそれに対して、ともかく今の所、良い結果が出ている様な違う様な、それはある。基底がブルーガンダムに成ってる今、”それ”に対して反する感覚は領域から追い出されて行く感覚はあり、その最後は消えるのか?には、今も何となく疑問はある。末端で淀んで行くのか、或いはそれは、何かの脅威と化すのか。
「過電流」の原因それは何処か?だ。自力での打開が困難になる原理の一つでもある、立て直そうとすると?外圧で壊れる。一度弱くなると、なし崩しではある。強奪連鎖が発生する”それ”に対して、否定感を持たない、と言うか「それがブレイクすると言う事だ!」その理解で汚染か歪んだ感覚はあり、それを微妙に打開出来ないそれは、もちろん、インターネットを通して広がる訳だが。
無人島で一人、絵を売る事は出来ない、のだ。それはお金に成らない。
その原理を超えられない。