分岐はある。
或いは今、共に自身のプラン?によって、だ。
現状、表に出せない情報、それは多い。状況も悪かったと言うべきか、あらゆる企業が業績を悪化させていて…銀行、金融、そこと”仲が良い”所位しか、資本は自由に成らなかったと言う現実は、或いはある。とは言え、自由に成らなかった、だけで、金融にしろ「別に増やせる訳じゃない」のだ、世界は何かの致命的な問題を抱えていたが、そこを「ユダヤ教の王」それは塞ぎ続けた。
負ける訳には行かない。
”それ”はでも、今もまだ残っている。
その状況下で、その上でのプラン、そう言うのが幾つかあって。
抽象化する感じ、物語として二つある。
A:かつての大戦を制した物が、再び訪れた世界の危機を前に奮闘する。
か、
B:かつての大戦で参加出来なかった存在の末裔が、今の世界を救う。
か、
どっち?だ。
AとBは同じ時間軸上にあり、どっちでも「打開される」その結果は一緒、だ。どっちでも良い、しかし、どうしても最後に選択はある、右か左か。その際に、そこに有る理由、それは何か。
ぶっちゃけ現状、Bが選択された、気もする。状況を打開する為に提案された二つのプラン、その片方は廃棄?された。そういう話じゃない、にしろ、そこには”そう言う感情”は残っている、何かの失意。単純に言えば?ガンダムでの、ゲルググとギャンとの量産化を前にした選択であり、ギャンは却下された、”それ”を計画した存在は、そこに無念を残していた訳だが。
”その”無念の末裔が、再び訪れた世界の危機を救う、それは震える”何か”はある。
ただ、その時に成っても”そこ”に、A、「かつて世界を救った物」そして今もまた、それが可能な何かは、そこに有るのだ。
Aは、良くも悪くも日本的な感覚だろうか、天皇陛下バンザイ、だ。それが使っていた草薙剣、”それ”がそこに有って、それを使えば勝てる。未だに仮面ライダーやらウルトラマンやら、ともかくおせっかいでさえ有る無償の救世主に依存する、その是非と言うか。かつてのBは、或いはこの時にコスト比を入れてしまった結果、「戦争に勝てる物ではない」そう判断され却下された、が。それに出来なかった訳じゃないのだ、或いはむしろ?
感情論やら現実やら、その狭間に、何故か意識が不意に居る。
PS5は、どっちかと言うとBである。実際には「ユダヤ教の王」それはそれが残す無念でさえある。理解はある、そこにAはもちろんある、しかし。Aを選択する側にすると、Bには不安か不満は残るのかもしれない、何かのロマンだけで、この局面を打開出来るだろうか?
そしてAは、或いはこの時むしろ、自重?せねばならない、のだ。
出来るのに、だ。その自重が”何かの問題”を抱えていても、だ。
自分もまあ、今は一票しか持たない。