この理解は、自分も半信半疑だ。
みずほ銀行のシステムは、実際にはそれほど、複雑な処理を必要としないのでは。
メディアには、「SE界のサグラダ・ファミリア」とも描かれ、いつ終わるとも知れないデスマーチは今日も続いている!とか語られている、が。解釈としては「3つの、記述言語も内部構造も異なる巨大銀行のシステムを統合する」上で、必要な処理は?だ。
お客窓口
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「統合銀行イメージ」
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A銀行 B銀行 C銀行 新規口座
これで良いのでは。
お客からのアクセス時には、その口座番号で、各銀行の「元のシステムへ」割り振る。
その上で、各種の銀行システムを、その”統合イメージに合わせて”調整しておいて。
新規口座を創った場合だけ、統合システム準拠の、新しい”そこ”に放り込む。
結局、3つの銀行システムは「ほぼそのまま利用する」事が出来る。結果で、各種の面倒は「今までの」スタッフに柔軟に対処して貰いつつ?新しいシステムの問題は、新しいスタッフ?に対処を要求する、それで、責任の問題ない分散が可能、なのでは。
自分も、この話の何が面倒で問題か、正確に把握している訳じゃない、しかし。統合するにしろ、今までとそれほど処理が変わる訳じゃないのだ、内容的な意図としては「プールされるお金」が統合される結果で、より大きな投資に対処出来る、その位。サービスの劇的な変化、は無いなら?これで問題は無いのではあるまいか、それは不意に考えた。
で、問題は”これ”が何故出来ないか?の、推測。
「どれが一番良いの?」
今は有るか否か?は謎だが、この問いは、そのシステムが価値を持つ時?ほぼ必ず発生する面倒、ではある。従来の一夫一婦絶対論は、ほぼ全ての要素を”この”二元論に落とし込もうとする、結果で、上の解が出た時?直ぐに問いがある。
「どれが正妻なんです?」
これは銀行のシステムについての話なんですが。
これを、越えられなかったのでは。
”今”は、かなり、「何言ってんの?」を言えるが。「ストリードの連携」もまた、”この”話の先で考案された経緯が有って。一般人には解りにくい領域で、一夫一婦か一夫多妻か?それは民主主義を否定するかしないか、それでさえある戦いは密かにじくじくと続いていた、そんな経緯は有った、のでは。上の例にしろ、「統合する上でシステムを統一せねばならないが、どれを基準にする?」と言う論調の先には、3銀行の熾烈な何かはある。
どの銀行のシステムも、長い間運用され続け「問題は無かった」それなのだ。
その、どれか二つを、何故切る必要がある?或いは全く新しくする必要など何処に。
その時、誰が答えを言えるだろう?
「3つとも使おう」ちょっと何を言ってるか解らない。
だったとしたら?これを担当者らに問うべきか否か、ではある。
「動いたのだから、もう良いじゃないか」これは、”これ”で流せる話か、否か。
一つ前の世代か、それとも民主主義と言う世界にある混沌、それは問題と言うべきか、或いは。
使用イメージ
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