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あげちうのブロマガ

客観という主観的判断

物事を客観視する、というのは割と面倒な話にはなる。基準は何処に?だ。

そして或いは視野範囲を広くするほど、それは一般論とは懸け離れていくのかも。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「え、なんかダメ?」それは普通か或いは

 

「最近の漫画って面白くない」と言う、それはしかし、正直20年くらい前から言われている話、ではあり今更、ではあるのだが。個人的に不意に思ったのが「蛇足を評価している?」と言う、そんな可能性ではある。文部科学省が悪い、というのは果たしてではある、”ここ”の主観が「教育上悪い」と判断した要素は描けなくなる訳だから?”それ”が「蛇を蛇として正確に緻密に描いた」物を、「好ましくない」と評価したらそれは、市場に出せない事に成る、訳だ。

結果、多く「蛇に足が生えている」絵に成ってしまう。

ちょっとした想定だが、意外と正鵠を射ている、のかもしれない。何故か?というと、「正確に描いたら”不味い話”まで表に出てしまうから」だ。昔、太平洋戦争中の珍事?だ。軍部で重大な作戦が遂行中、その情報を漏らさない様にメディアには報道管制が敷かれた、が。しかしとあるクロスワードパズル?の答えに、その「暗号」が書かれていた、という事態が有った、という。調査しても、担当した”全て”は何の関係も無かった、という話で最終的には「偶然」と判断せざるを得なかった…らしい。何故こんな事が起きた?を考えるとやっぱり、「誰かスパイが情報を流そうとしていたのでは」それは、どうしても残ってしまう。

理解として「”上”の情報ってのは現れてしまう物だ」と言う言い方は、ある。上の呟きが、自然とうわさ話に紛れてしまう。軍事情報ではある、その結果で多くの人命が喪失する、という事なら、何処か何か否定感と共に穴が開く、というのは考える。そう言う事だったのかも、というそれは…まあ一般論じゃないだろう。

「大衆は神である」”全て”の人間の意識は”神”に繋がっており、単にその神の思惑で、その壁で他と仕切られているに過ぎない。”神”が認める時、その情報は勝手に外部から見えるモノになる…個人的には「最上位の客観」は、普通は受け入れられる物ではない、のかも。

自分の状況が果たして「カウンタ制御」情報統制の檻の中に有るのか?は、ちょっと明言し難い。SNS「X」でも、不意にこっそり万バズったりする事はあって、通常のカウンタ数値は「一般人の興味がないだけ」と言う事態なの、かも。ともかく”普通”の意識にしたらそれは「私が面白いと思っているモノがウケない筈がない!」と言う主張に過ぎない、訳で。「それは違う」そこは、反論として大きな壁ではある。”ここ”は、更に一夫多妻容認論者でもある。大概は有力者、だが。その人の支配地域が広くなる時、現れる等価な二つの意向がある、それは衝突する事になるのだがしかし?その両者を天秤し両方が納得する決定を出せるなら、逆にそこには対立による騒乱は消える。それを齎したのはその王でありそして、その発露として「正妻と側室」的な事態が出てきて、そこに騒乱は無い。これを無理して問題視する必要は無い、その場に騒乱を招くだけな訳だ、が。

流石に芸能人が”これ”を言う事は、今も難しいというのはある気は、する。

「優秀さ」と言うのもこんな感じで一般論とは懸け離れて行って、客観性?を失ってしまうのかもしれない。

自分を、少し疑っている方が良いのだが。

本当にカウンタ制御があるとしたら、それはそれとして犯罪か問題ではあるのだ。

正義は果たして、何処に。

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