うーん(-_-;)。
当時、世間が何を土台にしていたか?ではある。
凄い狭い世界の把握として、MMDに対して、MMEは「補助機能」である、が。AviUtlは「別のソフト」ではある。”この”認識に踏み込んで行くのが問題の発端かもしれないが、MMD?が夫なら、妻はMMEであり…Aviutlは「部外者」な訳だ。最初は単なる画像エフェクターでしか無かったAviutlは、「動画編集ソフト」としてのベクトルへ舵を切った、が。しかし今も、作者のページには「AVIファイルに様々なエフェクトを施すツール」そうとしか書いてない。おまけに、他社のムービー編集ソフトの広告まで入る状態ではある。
意識としても、本来ある意味での「おまけ」でしかない、訳だ。
それが何故か、独立した、MME的な扱いはされないまま?「何故か」MMDの直ぐ近くに有る、訳で。
不意に、感覚論で「合致する」隙間?の様な物が、有る。
「MMDが、オブジェクトに映像ファイルを張る事が出来れば”それ”で良いのでは?」
”MMDが”ムービー編集ソフトを兼ねれば良い訳だ。Aviutlは、あくまでもMMEの様な、身近なサポートで良かった。そして、現実はそうなってない、そこに、壁があった訳だ。
だから、かどうかは解らない。”その理解の結果”で、Aviutlは使えない、と言う感覚は不意に…消えはする。コスト比で考えたら適当かも知れない、無料ソフトだ、開発機材が調整もされないまま一般に開放されてる様な物だ。その意味では、便利な代物とは言える、がしかし。
「MMDは、映像ファイルをオブジェクトに貼れない」と言う事から?何だか何かの”喪失の様な物”が無念の様な物として、残ってる。Aviutlが期待したバージョンアップを、MMDはしなかった訳だ。その理解で見る時、Aviutlは或いは、捨てられた、様な。
要するに、「妻は一人」だ。Aviutlは、未練を残しつつも、”それ”に成れなかった存在でしかない訳だ。だから、気持ちはともかく、MMDでは無いベクトルへ進むしか無かった、が。それが実際の理解との異相を産んで、何だか妙な使いにくさを創っている訳だ。今のAviutlは、”その”或いは本来の土台が目指した姿、それでは無い訳だが。
えええええエエェエェェェ…(;´Д`)?
何かの一線を超えた先にある、奇妙な面倒さの境目ではある。モビルスーツを女性的に考える、そう言う感覚は意外と普通だ。本来だったら、MMDのオブジェクトに動画ファイルを張れれば、それでMMDがそのまま動画編集ソフトとして機能する訳だ。その時。AviUtlは”その動画を作成する上で”便利であれば良い、しかし。「MMEは?」そこは、MMEの場所なのだ、Aviutlの居場所では無い、その世界としては。
中華思想の皇帝に当時、何が起きていたか?と言う、或いはそんな昔話、だろうか。理解としては「良くある話」だが、当事者と、そしてだからこそ発生した(或いは要求された、注目された)物には、何かの重い相関関係はある。MMDもそう言えば機能的に「なんで?」の塊ではある。それは”皇帝”の持った何かを土台にしたが故に、皇帝その人の様なイメージを強めて、そして。
だからこそ、Aviutlは、MMDの追加機能の様な立ち位置に成らなかった、訳だ。
違う意味で、やっぱりAviutlそれは、自分には使えないツールかもしれない。これは、今更だ、「どうにもならない話」だろう。鎮魂の様な事に意味は有るのだろうか。ともかく自分は、MMDに映像ファイルを取り込むような改訂を志向するだろうし、その声は意外と馬鹿に成らない重さが有る、かもしれないしかし。
この先は、繋がっていない訳だ。これはもう、一つの結末に至ってるのかもしれない。
ある意味で、これは「広がらなかった理想郷」その残骸、だ。MMDも実際には、皇帝と共にやがて消えていく…そう言う物でしかないのかも。
数多の人々が目指した未来が、そんな些細な理由で閉ざされているそれは。
現実と言う世界の、不足だったろうか。