あげちうのブロマガ

作家と言う仕事と帰結

理屈の帰結としては、適当。

とある大会社の社長、その息子が、色々あって売春婦を強姦し、殺してしまった。
なのでその会社の社長は、持てる影響力その他を駆使し、それを何とかもみ消した。
しかし?加害者はやがてその会社の跡取りに成らんと言う結果、彼の「無能さ」は次第に、その大会社その物を汚染していって、やがてその会社は過剰な債務超過に、返済不足が100億円以上、とか、そう言う事態へ陥った。破綻まで、秒読み?

何か問題が?

「そう言う物」だ、それは因果の結果でしかない。

…が、「その先の一言」は、適当か否か。


「神様」と言う時、期待される、その相手は、実際には作家らである。
「困った誰か助けて!」”その”祈祷を受けて、基本的には「アイディア」それは発生する。

受験勉強が!
お金が足りない!

それらを作家が打開し得る時?それは「良いアイディア」と言う事には、成る訳だが。
絵の上手さや精度よりも、物語性が重視されるのは、結論では”だから”ではある。


この辺の概念は、ゲームなどにも適用はされる。

ゲームの方が今は重要かもしれない。祈祷を受けつける人の範囲が広がる。ゲームとして表現された苦境を、打開出来れば良い。「頑張れば何とかなる!」よりも「出来ました」の方がパワーはもちろんある訳で。ゲームをクリアする、と言う実例は、より強力な「神の幸運」を創れる訳だが。

ただ、祈祷を受け付ける人がその時、何を考えたか?は、大きな問題ではある。

部族間の衝突が深刻だ!

と聞いて、「スポーツで決着にしたらどうか?」それは、通る話か否か。

去年までの話だ。故中村哲医師が、「魔王」の支援を受けていた頃の「要求」は、日本では無く、”アフガニスタンに”向いていた。正しいか?と言うのがまずある。しかし、現在の日本でも、農業市場の衝突、それは存在はする。時代の変化はある。経営規模の大規模化と、それを支える財源の確保は重要な話だ。プレイヤーと、アズワンの関係は、だからこそ設定される。経営者と融資先の関係は可能な限り良好で有るべき。その上で、或いはイチゴ農家は、キュウリ農家と喧嘩をせねばならない、訳だ。或いは、長野県と京都府での衝突等々。理解として、”これ”を再現したのが「星と翼のパラドクス」の様な気はする、が。

そこはどうでも良い。

のかもしれない。

オーダーその物の向き先は、「アフガニスタン」である。
日本にはガンダムがある訳で、その意味では、このゲームの重要性は薄い訳で。
しかし?もちろんアフガニスタンには、ガンダムは、無いから。
そこには危機感があり…しかし?

解らない。

こういう感覚で創作をする、と言う事が、正直ナンセンスな気もする。

「星と翼のパラドクス」は、悪いゲームでは無い、のだけど。とは言えやっぱり、「バスケか何かで決着にしたら?」それはまあ、アフガニスタンでは通らないだろう。しかし、解らなかったから?と言って、何か罪に問える状態でも無い。

「ジョジョの奇妙な冒険 ラストサバイバー」も、現状では似た感じはある。或いは”契約被せ”になった結果、反論としての問題はほぼ消えている。多分「ハング・ライド」に被せた、とは思うのだが。ダービーの創った仮想空間での戦場で、そこで相手を始末出来るなら、DIOも参加してても良い、”肉の芽”は強力な洗脳装置だし、仲間以外の味方?の筈のキャラは全てがダービーの創った虚像であれば倒しても何ら問題は無い。ストーリー的な失点は薄く、ゲームその物はPUBGなのだから、ゲーム性として面白くない、と言うのは言いにくい、そう言う再限度。

それでもやっぱり「コレジャナイ」は、重い。

オーダーは、何処を向いていたのだろう?

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