アイヌのお医者さん・高橋房次。
広報で見かけたけど、あんまり注意してなかった。
市立博物館でこの人についての展覧会をやっている。
父が見てきてブログで紹介。
このブログに「よっちゃん」の名でコメントしてくれる人が父である。
影響されて、見に行ってみる。もちろん、ユッキンも一緒。
小山市乙女に生まれた房次。
父は農業ひとすじ、母は産婆(助産師)。
「大きくなったら、人のために自分を役立てられるようになりなさい」
医療人であった母の言葉。
そんな影響を受けて育った房次は済生医専(日本医科大学の前身)へ。18歳。
25歳ごろには3ヵ月、日露戦争の軍医として従軍。
青森の病院で副院長。
40歳ごろに、北海道の白老(しらおい)町というアイヌコタンの人たちが多く住む町に国の補助金で運営される病院の院長の職に就く。
国の補助金がなくなっても、同じ場所に高橋病院を営み、アイヌ&和人の区別なく、また、お金がない患者でも診察し、尽くした。
村人は感激し、お金のかわりに、その土地で取れたものを持ってきた。
「先生、これ、食べてつかぁさい」
魚、野菜、肉…。
房次は、忙しい仕事の合間に隊を結成してよく登山した。
お孫さんの名前はその名も高橋岳。
「何であんなにお金がなかったんでしょう。でも、食べ物に不自由したことはなかった」とはお孫さんの回想。
昔、「Zero」というあらゆる本物の贋作を作者の心になりきることにより本物と寸分の違いもない本物を作り上げるゼロという贋作者が主人公のマンガを読んだことがある。
そのエピソードの一つに、ネイティブ・アメリカンと白人アメリカ人の混血の子孫が、代々家に伝わる半てん(上着)の切れ端から、半てんの再現をゼロに求めてきた。
ゼロは再現しようとするものの、その繊維が特殊で苦戦する。
とうとう、その繊維と文様は日本は北海道、アイヌコタンに伝わるものだと知り、再現成功。
依頼者は自分の中に流れる誇り高い血を知り、涙を流す。
うろ覚えだが、そんな話だった。
博物館の展示に、それに似た半てんがあり、このマンガを思い出した。
バンクーバーオリンピックの開会式でも記憶に新しいが、アメリカやカナダでも、近年原住民の文化が見直されている。
4~5年前、主人の実家にホームスティしたアメリカ人の高校生ジェフは、見た目は金髪・白い肌の白人。だが、実家にあったインディアンの羽飾りの被り物を見て「僕には、数代前のおばあさんを通してネイティブ・アメリカンの血が流れているのだ!」と語った。
日本にも、残っているのだ。貴重なネイティブの文化が。
大事にしたい。
チケットの関係で、近くの車屋美術館にも足をのばす。
ボランティアの人がよ~く説明してくれる。
小川家住宅のほうも見た。
もともと、肥料問屋だった小川家。
河川沿いで、舟によっり肥料など積荷を運んでいたが、宇都宮線の開通により、現在地に移転。
ちょっとブルジョワなの。
日光東照宮を作った宮大工の1人が野木町(隣り町)に住んでいて、その人がこの住宅を作ったんだって。
素朴な作りながら、クギを使わないで組み立ててあったり、猫目障子とか、床の間とか、長崎のグラバー邸を思わせる洋間とか、趣向を凝らしてあって楽しい!
室内は撮影禁止なので、美しい庭の風景をパチリ☆
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c7/19c4b3970e12c68f2adf18f031ed0f3c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/13/9e018e91140e9a8ea3892baa925a5549.jpg)
ガラスとかも歪んでいてかなり古いが、この家も、庭の石の灯篭も、大谷石の7mくらいの高い塀も、あの大震災でビクともしなかったそう。すごい!
栃木県は震度5、主人の実家では4~5基ある灯篭が全部くずれ、私の実家では大谷石の塀の最上段がそっくりくずれた。
巧みの業に乾杯!