自らを「チベットの法王」「菩薩の生まれ変わり」としているダライラマ14世だが、
我が国の(日本語の)マスメディアのチベット報道の際によく使われる、
「チベット仏教最高指導者」
という呼称は極めて不適切である。
ダライラマは
「ゲルク派」の僧侶であり、チベット仏教全体の指導者では無い。
チベット仏教には沢山の派閥(宗派)がある。
またチベット自治区のチベット人は全員が仏教徒では無い。
キリスト教やイスラム教のチベット人も沢山いるだろう。
遊牧民が多いチベットでは土着的なシャーマニズムも残っているかもしれない。
現代では、無宗教や無神論者のチベット人も居るはずである。
ダライラマがまるで地球上のチベット人全員から生き神様扱いされているという、日本国内での報道のあり方は、マスコミの深刻なる偏向である。
そういう意味ではチベット亡命政府は、正確には「ゲルク政権亡命政府」「ガンデンポタン亡命政府」を名乗るのが正しいと、
小生は僭越ながら指摘する。
チベット亡命政府は「チベット人の代表」を名乗る程、公平的な組織ではない。
ガンデンポタン(ダライラマ政権)の復権を目指す、民間団体(政治結社)であり、亡命政府として機能しているのか疑わしい。
チベット亡命政府を支持するチベット人は、ゲルク派である場合が多く、中立性にかける意見だ。
創価学会員が池田大作先生を批判することが絶対にないように、ダライラマを最高指導者だと信者が主張するのは当たり前だろう。
ダライ君がチベット仏教最高指導者だとする嘘は、メディアにより広まり、ネットではこの嘘情報が真実に昇華されている。
如何にマスコミのチベット問題報道がインチキと誇張に満ちているか、テレビだけで物を考える国民は知らないのである。
再びダライラマを疑えから転載する。
http://bismarks1976.blog92.fc2.com/?mode=m&no=2
-------------------------------------------
<ダライ・ラマ法王をチベット全土の政教両面に渡る最高指導者とする体制が確立され、チベットは平和な宗教国家として、新たな道を歩み始めることになったのである。>
ここの記述は、あくまでも自称である。
17世紀にモンゴルのアルタイ・ハンがダライラマという名称を作った事実はあるが、最高指導者と規定した根拠は一つとしてない。
何より、このダライラマという名称の怪しさの局地は、アルタイ・ハンがダライラマという名称を与えてから、ゲルク派が宗派としての立場強化のために、ゲルク派の始祖をダライラマ1世としたことに問題点がある。
アルタイ・ハンが1世・2世という取り扱いを認めているわけではないのである。
「チベット仏教の最高指導者としての権威性の根源はダライラマにあるのか?」といえば、そのような規定はどこにもない。
あくまでも”自称”に過ぎないのである。
現実にダライラマの宗教的権威性は別にしてもダライラマ体制が政治的権力があったという証明はどこにもないし、証明作業さえ行われていない。
ダライラマ事務所の「チベットの歴史」という項目でも、ダライラマ体制の政治について語られていない。
チベットは8世紀中盤には歴史文献が登場するはずであるし、文化大革命の影響で歴史書が散逸するにしても全部無くなるとは想定できるものではない。
ダライラマ体制なるチベットの支配体制の歴史などそもそも存在していた証拠もないのである。
形式的に外交窓口としてのダライラマの権威性は、当時のチベット仏教最大派閥のゲルク派トップとして存在していたかもしれないが、チベット仏教の各派ともダライラマをトップと認めたわけでもないのである。
そして、もっとも危惧するべきは、ダライ体制という時代があったとして「平和であった」という事実関係である。
たびたびお世話になるWIKIなので是非、興味ある方はブックマークをお勧めしますが
チベット史年表 〜さんからダライ治世の血生臭い歴史を紐解きましょう。
ダライラマ4世時代
・1605年
モンゴルからチベットまでダライラマを護衛してきたモンゴル人騎兵、カルマ紅帽派を襲撃。
ツァン派首長でカルマ派の支持者だったカルマ・テンスン・ワンポが大軍を率いてモンゴル兵を駆逐カルマ派,シンシャクパにゲルク派施主層を襲わせる
デープン寺兜率宮の強硬派、紅帽派がダライラマの出家剃髪などに対して寄せた祝辞に悪意が寓されているとして、モンゴル人を唆し、紅帽派の牲畜を奪わせる。これに対し当時の名目上の政府であったパクモドゥ氏とツァン軍が、兜率宮と共謀していたキシュ管領の軍を破り、甚大な損害を与えるダライラマ5世の時代
・1642年
グシ汗、チベット王の位に就く
グシ汗、ダライラマを推戴し、自らはチベット国王の座に登り、ソナム・チュンペーをデスィーに任命。ここにモンゴル人による全チベットの覇王が実現
グシ・ハーン、チベット全土を平定し、チベットの支配権を正式にダライラマに献上
・1644年
モン族僧院群・ブータン間の紛争をグシ汗とソナム・チュンペルが調査。
モンへの援軍としてブータンに700のモンゴル兵とチベット軍を派遣するが敗走。
ダライラマ政権、ブータン攻撃
・1647年
ブータンとの間に再度戦争(チベット・ブータン間では日常茶飯事ではあるが)
・1661年
ネパールとの間に国境紛争。チベット軍が派遣され、ネパール人暴徒を駆逐。(ネパールとの最初の衝突)
ゲルク派に抵抗する勢力をモンゴル人に駆逐させたり、ブータン・ネパールなどに侵攻するダライラマ体制が「平和な宗教国家」でしょうか?
--------------------------------------------------------------------------------
<④チベット仏教は、モンゴル、満州、そして北京にまで広まり、アジア大陸の広範な地域で文化交流が盛んになったのである。>
事実を歪曲している。
当時に明王朝は決して交流政策ではなく、鎖国政策であったし、アジアの大航海時代はまだ先の話である。
そもそも、この時代もチベットの歴史は、モンゴル人とチベット人による支配二重構造であり、混乱した時代である。
そして、チベット仏教がモンゴル・中国に普及するのは、サキャ派時代であり、ダライラマ体制という論拠は一つとし存在しない。
パスパとフラビイの関係はモンゴル・中国のチベット仏教の関係構築に貢献としたことは否定しようがないが、それ以後、中国支配者はチベット仏教に改修したこともないし、チベット仏教信者が中国で増えたわけでもない。
モンゴルの有力者がチベット高原侵略後に改宗しているが、彼らはチベット仏教でもゲルク派ではない。
(補足的意見)
「チベット仏教」=「ラマ教」=「ボン教」のような非常に乱暴な見解があるが、この妥当性に関しての嫌疑は非常に多いし、学術的には、分岐がされている。
細かい分岐であるという指摘もあるが、チベット仏教=密教、という考え方に関しても妥当性がないという識者は多数存在する。
文中でも話に上った「九塞溝」などはその典型例で
「安易な理解が誤解を生んだ典型例」で言えるだろう。
そもそも、乱暴な言説において、”チベット仏教をカテゴライズ・定義できるものではない”問題がある。
イスラム教のシーア派・スンナ派などは実態としても思想的にも明確な相違点があるにも関わらず、乱暴に同じように扱われる部分などは「乱暴な言説」の象徴性だろう。
チベット仏教も「チベット」もそもそも乱暴な言説による乱暴な見解で固まっているものが圧倒的である。それを助長するのが、ダライラマ事務所や中国当局が発するロビー情報である。
本サイトでは可能なだけ中立性の持つことに主眼をおいているが、
ダライラマの虚偽性・欺瞞性は筆舌を挫くほど破廉恥であり、一般社会のチベット理解をミスリーディングしていると看破する必要性があるだろう。
--------------------------------------------------------------------------------
ダライ・ラマ法王は、チベットの国家元首でチベット人の精神的指導者でもある。「ダライ・ラマ」とは、モンゴル語の尊称で「智慧の海」という意味である。
冷静に考えてみると不思議なことがある。
モンゴル語の名称を使うという意味不明なアイデンティティである。
チベット人からすれば、チベット語の名称があるわけであり、
「今上天皇」の地位を「天皇」ではなく「The Emperor」と言って喜ぶマインドがあるだろうか?
ダライラマという権威性の由来は、アルタイハンというモンゴルの有力者が与えた名称であり、
モンゴルはチベットの実質的支配者だった時代に形式的に支配権が与えられただけで、
”最高指導者”という自称し、政治実権はモンゴル人に支配されているダライラマ体制の内実は如何なものだろうか?
日本の天皇家は真贋は別にしても万世一系であるが、ダライラマは輪廻転生の理屈にしても、その理屈は頓挫している部分が多々ある。
そもそも、チベットが「国家」である構成要件を満たしているわけではないことも明白である。
モンテビデオ条約などにもあるが、国家の構成要件は、
A:永久的住民
B:明確な領域
C:政府、外交能力を持つものとあり、チベットのダライラマ亡命政府は、全て持ち合わせていないのである。
したがって、「国家」ではないし、国家承認してる国は亡命政府との実態的政治関係は発生していないことから、承認されている形式さえ存在しないと言えるだろう。
------------------------------------------------------------
ダライラマがチベット仏教の最高指導者だとするマスコミの報道が、ひどい捏造であることは歴史が証明する。
そして「法王」という胡散臭い肩書きといい、ダライラマ閣下への個人崇拝は、毛沢東崇拝や文鮮明崇拝とさほど変わらないのである。
チベットが中国領土では無い・・という公式見解を持った国家は皆無である。
(ただし、共産党人民共和国の領土か中華民国の領土かは、議論がある)
テレビや新聞の、ダライラマへの徹底的な媚売りというかゲルク派マンセー報道はチベットの歴史への無知や、
チベット人は少数民族だから可哀想という人情論・感情論から来ているに過ぎない。