会津能楽堂が完成より7年が過ぎた。雨戸を開くため舞台に入るとまだヒノキの匂いがする。
この能楽堂の完成に尽力された、満田政巨氏と山田和彦氏が28年1月初旬に数日違いで亡くなり、葬儀は同日同時刻に行われ、奇しくも同じ火葬場で煙となって天の風になった。
会津鶴ヶ城薪能はお彼岸の中日に行われ、戊辰戦争で亡くなられた方を含めそれぞれの知人の冥福を祈りながら、お能を鑑賞される方もおられると思います。
わたしは、上記2名のほかに同じく建設委員として活躍した伊東 正氏と本田忠一氏両氏も忘れることを思い出しながら舞台に出た。
さて肝心の「黒塚」だが地謡に参加した。前シテの謡い『閨をみるな」との場面もしっかりすごんで圧巻。あいにくの天候で後シテが登場する場面では本物の雷光があり、大変いい舞台であったとの評価をいただき関係者は喜んだところです。
若松二中、會津高校の同窓会にも出かけています。
院内の御廟は、子供のころの遊び場でした。
會津若松の人は、もう少し、会津藩のことを大切に思ってくれるといいのに、といつも思っています。