幸田露伴は、「努力偏」の中で、幸福になるために「惜福・分福・植福」という生き方を説いてます。
あまり耳にする事の無い言葉ですので、意味を調べてみると、「惜福」とは、毎年立派な実をつけるリンゴの木を、大切に管理して長持ちさせること。また、実を身近な人に分け与えるのが「分福」。そして「植福」とは、リンゴの種を蒔いて新しい木を育てることです。と私の指針としてる本に記されてます。
自分の持つ力や知恵や経験を生かし、仕事や義務、役割をきちんと果たして、未来の人々の幸福に貢献する事と言えるでしょうとも記されてます。それが現代の社会を築いてきた先人たちの恩恵に報いることにもつながるのです。
先人方の教えには、常に社会のお役に立つという信念が備わって居て、正直、勤勉、礼節、孝行、他者への思い遣り・・・・・先人方が守り続けて来た心を、此れからも受け継いでいってほしいと思います。これらの事を護り受け継ぐことで、よりよく生きるためのヒントにして欲しいと思います。
85年生きて来て、迷いや不安な思いをしたことは数多くありますが、そんなとき何時も「人様の社会のお役に立つ」という言葉を思い出すことで、わたしは今何をすべきか考えるきっかけになりました。
85歳になった今でも「社会のお役に立つ」と言う事を心がけて居ります。日々ご先祖様に手を合わせてるのは、願い事をするのではなく、自分自身を律する為と、この歳まで生かしていただいてる事への感謝の気持ちからです。
神様には、「今日も一日世界中の人々と共に平和で穏やかで幸せな一日でありますように」と手を合わせ、大自然に感謝し日々を過ごして居ります。私たちは、起きてる時も寝てる時も、「植福」大自然と社会の恩恵を受けて守られ生かされてるのです。
今日も一日笑顔で感謝して過ごせますように!!