ティタイム

自然鑑賞など

ところ遺跡の森

2020年06月14日 | 日帰り旅
55歳になりました
子供たちが独立、社会人になり、子育てから解放されて
最初の休日の誕生日を迎えました
今日は、家事一切を主人に押し付け、女王さま気分を味わっています

結婚した娘が住んでいる場所から近いドライブインでランチをとり
主人の釣りのお供も兼ねて、観光地巡り
いつでも行ける近い場所だと、行こうと言う気にはなれないのですが
遠くまで行けないのなら、近いところで観光しようと言う話になり
観光マップを見ながら、決めた場所は
10数年前に1度、末娘と2人で行った
ところ遺跡の森へ





サロマ湖から近い、船長の家のすぐ近くに
ところ遺跡の森があります
ここは、縄文時代から擦文時代まで、過ごしていた跡地があり
竪穴住居の復元住宅を見ることができます




第1号竪穴住居
擦文時代後半に作られた言われる
中の広さは1辺 約10mの四角形
擦文の中では一番大きい竪穴住居で
15人〜30人が住めたのではないかと言われているそうです

屋根は藁葺き屋根で、夏は涼しく冬は暖かい作り
当時は釘がないため、復元された住居はすべて
釘を使わず作られたそうです




この家の中は、こんな感じ
真ん中は暖炉になっており、壁側には板が貼り付けられ
見た感じ椅子?と思ったのですが、今で言うベット
確かに広いのですが、15人から30人が住むには狭すぎるなと思いました




第2号竪穴住居
擦文時代後半に作られたと言われています
1辺の大きさ6mの四角形

第1号竪穴住居から近い場所にあります
当時の家の大きさとしては平均的な大きさで
5人から10人の1家族が住んでいたのではないかと言われています




第4号竪穴住居
こちらも第1号第2号竪穴と同じく、擦文時代後半に作られ
1辺の大きさ6mの平均的な大きさと言われています

他にもこの辺りには、竪穴住居の跡と思われる窪みを多く見られます

この周辺は擦文時代の頃までは、ハマグリの貝が取れ
当時は暖かい地域だったのではないかと言われています

この近くにある資料館に入りました
入館料大人280円



縄文時代に使われた壺
発掘した際に、破片をつなぎ合わせ、復元させたそうです




これはアイヌ文化に使われた魚叩き
この叩き棒で、鮭を叩いたと言われています
今も同じ形で叩き棒は使われていますね





この勾玉はお墓に埋葬されていたもので
新潟では見られるもの
この辺りでは、勾玉の歴史がないことから
新潟との行き来があったと言われています




琥珀生の首飾り
この首飾りは、常呂川河口付近の遺跡から
8900個の琥珀玉が見つかっているそうです

自分を着飾るのは、今も昔も変わらないのですね







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