アキちゃんのなんでんかんでん

長崎のソウルフードを愛するひとりです
我が家の普通のごはんです
妻に感謝して、頂きます

おはようようございます

2021年06月14日 02時35分39秒 | チューリップ

私は誰でしょう? お人好しの男の物語です。

〇〇〇はずっと赤字です。もうやめんしゃった方が・・・

人の喜びに尽くした男の物語 ここは博多・中州 名産誕生秘話

もうおわかりかな? 約70年前から考えていた。

1950年 夫婦は中州市場で食料店を始めた。日本統治時代の韓国・釜山

終戦まもなく帰国 火事と聞けば消防団で無いにもかかわらず、被災者を

家に連れてきて食事の世話までするお人好し 家族はあきれ顔

当時、日本では統治時代の名残で「釜山」と呼ぶ人が多かった。

地域のボランティアや学校関係にも率先して参加していた。

伝統の祭りが存続の危機に陥ったときは、自分で資金ば出して救ったこともあった。

あんたよそから来たのに、何で地域のことにそげん熱心かと?

俺はただ人が喜ぶ顔ば見るのが好きなだけとよ。

自分が人にやりよったことの見返りば求めちゃいかん 人にしてもらったことは事は

絶対に忘れるんじゃなかとよ・・う~~ん名言

1つだけ妥協しない部分もあった。たらこです。釜山で食べてたの思い出して買って見たが

生臭いし塩辛か・・・それから10年かけて明太子つくりに成功したが、店頭に並べても

全然売れなかった。売れ残りは毎日食べていた。妻が美味しいと云わない。

問屋が北海道の粒々感のたらこを仕入れる。こればい。作った明太をPTAや商店街の会合に

持って行き味見をさせていた。10年経って妻が美味しいと・・・

味の明太子 ただの明太子では無い 10年試行錯誤してつくりあげた「味」こそが

最大の売りだった。 博多名物「明太子」誕生の瞬間だった。

店頭に並べたが売れなかった。

俺は戦争で多くの仲間を失った 故郷も失った だけどそんな俺を博多の人は快く受け入れてくれた。よそ者の俺に生きる希望を与えてくれた。だから残りの人生は、自分のためではなく

人のために生きたいと思っている。困ってる人に差し伸べて笑顔にしたいんだ

お前には苦労掛けるかもしれない・・・大丈夫ですよ。あなたの思う通りに生きて下さい

私はどこまででもついていきますから・・私を誰だと思うんです 川原俊夫が選んだ女ですよ

少しづつ遠方から明太子を買う客が増えだして来た。健は店の前の行列を見る

お客さんが殺到 そこにはPTAや営業の方たちが、地方で美味しいと・・・宣伝して

中州でしか買えないと・・ひとりひとり周囲に広めてくれた

クチコミで評判の店となった。街の人が恩を返してくれた。

驚くべき決断があった。

遠くから明太子を買いに来るお客さん 間違えて別の店に入ってしまう。

間違えられた店主は「味の明太子」を店頭に置かせて欲しいと頼み込みに来た

俊夫は卸販売をしたくなかった。商品のいちばん美味しいときに食べて貰えず

管理も難しく、マージンが発生して高額になってしまう。

そこで俊夫は、仕入れ先も作り方も教えるけん よかったらみんなで明太子つくってみんね

10年も掛かったのに、惜しみなく明太子の製法を公開した。

独占することなく我々にも作り方を惜しむこと無く教えて頂いた 同業者

しかし最後の味付けは伝授しなかった。その味が店の看板商品になるから

この話は、ふくや明太子 先代社長のお話でした。川原俊夫 現在の息子は会長です。

博多高額所得者番付4位だったが、手元には殆ど残っていなかったと

法人にしないで個人でたくさん税金を払ったいた。

ごはんは朝5時にならないと炊きあがらない

朝ごはん

焼き魚焼いていたのに、取り出すの忘れていた

10時のおやつ

昼 パスタ

夜 アジ定食

夜ごはん食べたのに・・・

これが1番だね。