「薬が人を殺している」抜粋3
日本人の死亡者の一位が癌だとすれば、その癌の治療薬が薬の代表みたいなものですね。
その薬の代表みたいな抗がん剤は「べつに癌を治す薬ではない」ということでした。
「治す薬はない」とは薬理学博士の弁で紹介しましたが、抗がん剤そのものも全くその通りで、何度も紹介してきたかな?
しかし、もっと何度も何度も繰り返してきたのが「抗がん剤で治療」という言葉です。
さも、癌を治せるかのように錯覚させる言葉ですが、こんな嘘はとうの日本の癌研究の大御所たちは当たり前だのクッキー(おい、製品変えるなよ)だったのです。
映像6分過ぎから~~
それは立ち話の橘氏を聞いた話で有名ですね。(たちばなしの誤変換あり)
つまり、たちばなしがある癌学会で聞いたたちばなしのことです。
大御所「癌を治せる薬などありゃせんのですよ」
周りの学会研究者たち「そうだそうだ・・」とうなづく。
それでも使っているじゃないですか! 病院に行けば。
そりゃそうでしょうね。 何か施さないとね。でもそれしかないんです。
しかも、患者さんが欲している。
「あれは・・・どうも・・・・」と言っても、
「せんせ~~~、それが欲しいんです。できるだけのことをしてほしいんです!」
と言われれば
「そうですね。できるだけのことをしましょう」と。
その「できるだけのこと」が現代の癌治療(ほんとうは治せないのはわかっているから「治療」という言葉は不適切だが)では、抗がん剤、それにプラス摘出手術、プラス放射線(これも強い細胞攻撃)と三大強盗、じゃない、三大療法が待っているわけです。
でも、「できるだけのこと」がそれしかないのですから仕方ありません。
別に医者が悪いというわけではないのです。それしか無いのですから・・持ち玉が。
それを承知で患者さんが「できるだけのことをしてください」と哀願するのですから、全責任は患者さんの方にあると思うのです。
そして、出目は毒ガスの猛毒性を利用しての抗がん剤で、髪の毛は抜けたり、いろんなダメージを受けて、そして、癌そのもので死んだのか、抗がん剤で死んだのか、知るよしもない患者さんは「ありがとうございました」と言いつつ・・・(これは家族の方が言うのかな?)
こういうことを言うと、本当に怒る人がまだまだ多いので止めますが、近い将来だと思いますよ、本当のことが世間の常識になったとき、その時になって「医者がどうだとか、製薬会社がどうだとか非難する」ことは自分自身の責任逃れだと思います。
あくまで、望んだのは「自分自身」です。選んでいるのは自分なので、責任は自分にあるということです。
「知らなかった」とか「教えられなかった」とかは、自己弁護の責任逃れなのです。
こういうボク自身が、ずいぶん思い当たることがあるからですね。
人に言うことは自分に言い聞かせているわけでして・・・・
「人には言えるが、自分には言えない」性格でして・・・
それでも、いまこの時、日本のどこかで
抗がん剤を使っている(自ら望んでだが)患者さん、そして家族の方、こういう話は「聞くのもいや」でしょうし、「助かりたい一心」でやっているのでしょうから、決して批判するわけではありません。
選択の自由は宇宙の法則だから、誰も止めることはできませんし、止めようとも思いません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます