わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

「現代を嗤う」とは大胆な論だが

2009年02月19日 | 岡田茂吉医学論研究会用
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 現代では癌が死の病と言われているが、それまでは肺結核が死の病とされていた時期が続いていたと言われます。

(癌死亡率は医学の進歩と医師の数が増えるに比例して年々増加している)

ところが戦後まもなくの時期にストレプトマイシンという結核の特効薬が出現、これによって世界の結核が激減したとされて来ました。

この事について当時の時代をみていた岡田茂吉の医学論です。

ちょうど、現代で言われているようなインフルエンザの特効薬であるかの様に宣伝され、大量の使用量と備蓄を行っている厚生行政を見つめていると似たような感じがします。

その当時の結核の激減した原因がこのストマイによる効果であるという「思いこみ」はある種の医学上の統計操作があったというのは知られているところです。

本ボロ愚でも紹介したと思いますが、日本の医師のトップ級の方がそれを知って本にも書いていましたし、アメリカのトップ級の医学者もそれを指摘していました。

もちろん、それをいつものようにジャーナリストが発表しない、医学界も真実を知らせないという構図は固く守られていたようで、大半の医師さえも未だに「結核は医学の特効薬が解決したため」だと信じているくらいです。

大衆はもちろん、結核を激減することが出来た現代医学は素晴らしいと思ったわけで、まさに医学上の大本営発表の図式そのものでしょう。

じつは結核ばかりか天然痘はじめ諸々の伝染病の減少に現代医学の特効薬とか予防接種が貢献したという話は統計上の嘘捏造と言っても良いほど、医学側に都合のよい証拠だったのです。

 

最近は現代医学はどうもおかしいと思われる方も増えてきていますが、それでも「感染症に対する貢献は、やはり現代医学が勝利してきた」と思っています。

その詳しい証拠を詳しく書いているホメオパシーの「予防接種は果たして有効か?」「予防接種トンデモ論」がお勧めです。

 

結核がまだ死亡原因のトップにあった時期に特効薬が現れ、(本当はそれが原因ではなかったのだが)結核が激減していった時期、世界でも日本でも現代医学は素晴らしいと賞賛していた時期に書いた論文ですから、今になって読み返してみると、なるほど、その特効薬の効果で結核が減ったという統計上の操作は別にしてみても、

特効薬自体が別の病気、癌などのもっと重度な病気を生みだすと警告した通りになっている現代ですから、その医学が今やっている事の次の成果(と言ってもマイナス効果だが)が待ちかまえているのは目に見えるようです。

現代医学の感染症神話は故意に作られていた統計上の操作を元にして植え付けられていたという証拠はもう山ほど出ているのに、それがまったく知らされていない(故意に知らせないのか!)としたら、現代医学の虚構の神話が最後の砦としているという話は前に紹介した「ある米国のワクチン研究者の告白」でその理由が書かれています。

医学の神話の元になっている「病気の源になっている細菌(ウイルスも同類)を退治する」ことへの岡田茂吉の医学論は現代西洋医学へ対しての「日本医学」の挑戦的発表になるわけです。

細菌やウイルスは病気の原因では無い、病気の結果である。

結果を対象にして攻撃してもそれは無駄ばかりか、そのこと自体が未来の病気を増やすだけだという。

 

事実、それがいま起こっているのです。

 

「現代医学を嗤う」 の嗤いは笑いとはニュアンスが違うのでしょう。

朗らかに笑うよりも、あまりにも愚かなことに対する嗤いとも思えるのですが。

 

 


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

現代医学を嗤う


 今回米国に於けるストレプトマイシンの発見者としてノーベル賞まで獲得したワックスマン博士が来朝し、読売新聞社の斡旋で発表講演会が開かれ、専門家並に多くの識者から歓迎を受けたのは衆知の通りである

 

私は其の時の説を読売紙上で読んだので、細い事は抜きにして、其の根本原理を書いてみると大体斯うである。


即ち同薬は抗菌性質といい結核菌を弱らせ衰弱させるに相当な効果があり、それが為病勢を弱らせ、諸般の症状が或期間緩和するので今日の如く世界的発見として大騒ぎされるようになったのである。


しかし決して全治の効果のない事は保証出来るが、それらによって近年日本に於ける患者死亡率が急激に減少したといって喜んでいるのである。


これを私からみれば問題にならない。

それはいつもいう如く幼稚極まる現代医学の事とて、無論結核の根本には触れていず、ただ末梢的研究によって出来た薬である以上、一時的効果でしかないのは勿論である。

その何よりの証拠は死亡率は減っても発病率は一向減らないにみて明らかである。

その結果、死にもせず全治もせずという青白い顔のブラブラ人間が益々増えるばかりであるから国家社会にとってプラスよりマイナスの方が多いのは言うまでもない。

なる程新薬によって本当に病気が治り、ピンピンした人間が増え、発病率も減るとしたら吾々と雖も双手を挙げて賛意を表するにやぶさかではないが、事実は右の如しとすれば、その盲点に気附かなければならないのである。

 処がこの様に不確実な効果を以て鬼の首でも奪ったように有難がり、発見者自身はもとより、他の学者までが…賞讃するのであるから全く情けないと思う。

これというのも本当の事が分っていないから一寸した効果でも忽ち有頂天になり、世界的流行とさえなるのである。

彼のヒドラジッドにしてもそうで最初の勢はどこえやら近頃は予想外に売れないので製造元は悲鳴を挙げているそうである。

しかも注意すべきことは、

結核の死亡者が減ったとしても

その偽他の病気が増えるという事実で、


近来仏蘭西初め欧州各国でも結核が減っても癌(擬似癌) や其の他の病気が増えたという報告も最近新聞で見たが、これなども大いに考えなくてはなるまい。



以上によって見ても結核は薬で一定期間抑えられても、
他の病気に変化する危険があるとしたら差引二一天作の五である。


医薬が進歩したと云っても、全体的にみて一向病人の減らないのがそれをよく物語っている。



 そうして右の原因に就てハッキリ言ってみると、

医学というものは未だそれ程進歩していないが為、

菌のみに囚われ菌さえ殺せばいいとしている簡単な考え方である。



今これに対してその根本原理を書いてみるが、

本来

菌なるものは実は結果的産物であって本原ではない事である。



即ち最初体内の一部に菌発生の温床が出来(此の温床に就ては拙著〝結核信仰療法″中に詳説してあるから参照されたい)

 その温床から菌の幼虫が発生し漸次育って一人前になったものが顕微鏡で見得る菌であるから

結核を撲滅するにはこの温床を潰滅させる事でこれが根本である。



 処がそこまで分っていない為菌を殺せる薬ならいいとして近来の如く後から後から新薬発見となるのであるから私に言わせれば徒労以外の何物でもないのである。


  (中略)


 (昭和二八年一月一四日  栄光 一九一号)掲載発表

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 



その「徒労」の結果、癌を初めとする結核よりも重度な病気が増え、世の中の誰もが賞賛している「現代医学の進歩と比例している」の現実なのです。

昔は「4人にひとり」と言われた癌死亡も「3人にひとり」になってしまい、そのうち「二人にひとり」という時代になるくらいの勢いです。

そのうえ、医学の伝染病神話の行き着いたところが、なんと

「世界的風邪(インフルエンザ)の大流行で大量の死者が出る」という予言が医学界そのものから発せらているのですから、

医学の「徒労」どころか「病気蔓延を造りだしてしまった」とは、なんと人類は医学という学問にだまされ翻弄されてしてきたことか。

それに「気づく」までは続いて行くのでしょうが、既に目の前には医学の限界「鉄壁の壁」がそびえて待っています。

対症療法の行き着くところは自滅でしょう。それを人類全体に全責任がありそれを解決する責任と力もあるはずです。

医学という疑似科学に騙されてしまった医師と患者は同じ土俵上で相撲を取っているようなものです。

この土俵から降りてしまえば、本当の力が内からわき起こるのです。

 

病気の原因が外にあるという病原菌説やウイルス説は真の源にあらず。自らの内側にあったのです。

同じように治癒の源は外にあるのではなく内にあるのです。

 

論文中で  (中略)とあるのは治療法(浄霊法)の部分です。

あえて、治療法を除いて論を読んで貰いたい理由は、治療法が凄い効果をもっていたとしたら、そこにだけ意識が注目されます。すると「内なる自然治癒力」よりも外からの治癒力の方法に頼ることが主になってしまいます。

あまりにも奇跡的な効果をもった治療法が自信の治癒力を過小評価してしまうと・・・

「浄霊法」があまり効果がないとか、効かなくなったという様な時、(これは浄霊法に限らず他の治療方法でも同じだろう)

また別の外からの癒しの力を求めるわけで、中にはまた対症療法的治療に舞い戻ってしまう事になりかねません。

 

それが世界メシヤ教の教祖として「岡田明主様」御昇天(死去)後の信者さん達の様子で分かります。

 

その後、まったく岡田茂吉の医学論に真逆な現代医学に再び頼ってしまう信者さんが多数出たというのです。

それも事故とかの救急医療は別にして、ここにあるような感染症や癌治療など慢性病などにも対して頼るのですから、いかに「外に頼る」という心が根強いか、それは自分自身にも当てはまることですから反省しつつ書いています。

あっという間に治る治療法も現実にあるし、あったので、それを否定はできないのですが、そこにもし「外への依頼心」が根強く残っているとしたら、21世紀にはそういう奇跡は長続きするのかどうかです。

 

原因は自分の心と身体にあるのですから、その浄化を通して得られるものを無視して治る課程に意義があるのかも知れませんし、また原因を知らされないうちに治るという事もがいつまでも原因を放置してしまうのではないか。

浄水器が素晴らしい水を提供してくれるから安心だ。

しかし、浄水器など要らない水源を考えなくてはならないのに、浄水器の開発ばかりに注目していたんでは・・

病気という浄化作用を通してわれわれが学ぶこと、気づくことの大切さがあるということに。

それを忘れたとき、

浄霊という奇跡の治療が段々と衰退していったのではないのか?

あの当時の浄霊の威力は凄かったと聞くのだが、その威力が下がってしまったら、また現代医学の薬という毒を体内に入れてしまう信者さん達が増えたと聞く。

それは「治癒の主薬(役)は自らの自然治癒能力にある」という事を「自分の外に求めた」結果なのかも知れない。

すべては脇役と考えての自然療法、自然医学にならないと、病気の本源を解決できないのではないのか?

 

これは自問自答でした。

 

 

 

 


 

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