医学の罪悪観
此の標題を見たら第三者としては、余りの意外な言葉に唖然として私の頭脳を疑うかも知れない。 (中略)
何故なれば、現在の世界は其の悉くの民族は現代医学を以て無上のものと信じ、些かの疑いもなく貴重な生命を委せている現状であるからである。
其の様な中にあって、私一人が医学を以て罪悪視するとしたら一体如何なる理由であるか知り度いであろう。
(中略)
之によって之をみれば
現代医学では病気は決して治せないのに治せるものと誤信している事である。
其の為全世界の専門家は凡ゆる努力を傾け病源の発見や治療に予防に懸命になっており、
特に新薬の発見は並々ならぬ研究と発見に智能を絞っているに拘わらず、
その効果たるや悉く一時的であるのは、何よりも後から後から新薬が出るにみて明らかである。
処がそれに目覚めない医学者は、現在の学理を進歩させさえすれば解決出来るものと信じている盲点で、
之を私からみれば実に無益な努力を続けている勿体なさである。
いつもいう通り
医療は病毒を固めて出さないようにし、一時的苦痛緩和を治るものと錯覚している事で、
真に治る方法である病毒を溶解し排泄させる事を知らないのである。
尤も知っても方法がないからどうにもならないが、何よりも現代医療は治るように見えても治らず寧ろ段々悪化の経路を辿る事で而も医師も治そうとして熱心に治療するに拘わらず結果は逆であるのは勿論である。
又医師が見込みをつけても見込み通りになる事は滅多にないと共に、患者に色々訊かれても明瞭な答は出来ないのは誰も知る通りである。
此の様な事は、吾々が言わずとも医師諸君も充分知っているであろう。
従って医師諸君も医療では余りに治らず予想が外れたり、患者から不平を言われたりするので、其の苦衷は容易なものではないと、以前某医博の述懐を聞いた事がある。
そうかといって外に病気を治す確実な方法も見当らないから不満乍らも医学を棄てる訳にもゆかず寄りついているのが現状であろう。
(中略)
(昭和二七年九月三日 栄光 一七二号)
TITLE:医学革命上 第四部現代医学論
DATE:2009/02/20 06:15
URL:http://akyoon.hp.infoseek.co.jp/ij005.htm
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
まだ戦後間もない時期にこれほど医学批判論を書いて発表したということも驚異ですが、それには絶対の自信があったからでしょう。
いまでさえ、この様な内容はかなりの反発があると思います。ましてや医学者でもない宗教家が言えば迷信邪教で片付けられてしまうでしょう。
本当は岡田茂吉は戦前、しかも昭和初期の時代からこういう論を書いていたのです。
その間の妨害はかなり受けていたようですが、現代でもかなり非国民的国賊的扱いを受けるかも知れません。
(そのためか後継団体ではこの医学関連の論文はあまり表に出さない理由になっているのか?)
こうして
誰もが信じ切って信頼を寄せている現代医学ですが、それを徹底的に根本批判をしていたのです。
今の時代のように医療不信などあるはずもないほど医学の進歩は輝かしいとされていた昭和20年代に書かれた論文です。
岡田は医学の固め(抑圧)治療に対して、浄霊法という溶かす(解放)治療を武器に世人の目を覚まさせることを主眼としていました。
それは、まだまだ人類の「他への依存心」が根強いので、「薬」に頼る心を絶って、自然治癒に任せきるなどという事は無理だとしたのでしょう。
しかし、それは別の意味での依存症になってしまった事も欠点なのかも知れません。
まったく逆の抑圧と解放という形であっても、共通する点があったわけです。
医学への依存から離れさせるには、別のもっと素晴らしいものが必要なので、それによって簡単にそちらへ移行できるわけで、今で言う代替え療法なのでしょうが、あまり意味も知らずにただ単に「そちらの治療の法がずっと効果がある」という依存心で医学から離れた人が、浄霊の効果が薄くなった時に再び医学に戻ってしまったという人が多数いたというわけです。
主体が「自己の治癒力」のはずが、外からの治療法に代わってしまったのが原因なのかも知れません。
その世界にはかならずうまれてしまう、「権威」対「非権威」の位置関係は医学の世界でも宗教の世界でも共通すると思います。
21世紀はもう宇宙の法則をとりいれる時代と言われますが、他者への救いの気持ちは依存心でしょうから、「手助け」とは異なると思います。
その「手助け」としての浄霊法であったものが、主体に代わってしまったことが「奇跡の連続であった浄霊」に変化が起こったのかも知れません。
浄霊というのは除霊とは異なるのですが、どうも霊という名称が非科学的にされてしまったためか、手かざし等という見た目にも胡散臭さがありすぎて、一般人にはほとんど迷信視されています。
しかし、当時の浄霊はすごく効果があったようです。
ただ、その凄い効果ゆえに信者さんが増え組織ができた反面、依頼心という宇宙の法則から離れて行くような結果になったのかと思うのです。
これは個人的な想像でしかありませんが、あの当時の浄霊効果がずっと続いていたならものすごい信者数になっていたでしょう。
それが教祖死後の浄霊効果の減衰が、信者さん達に再び固め療法である医学に戻されたということはやはり、偉大な効果の浄霊法は依頼心の固まりを造ってしまうという欠点があったようです。
それは他人事ではなく、自分の経験でもあります。
ただ、医学には戻らなかったのですが自然治癒を主体とするものならなんでも試そうとしましたし、今でもそう思っています。
しかし、経験からいうと、主体が自己の治癒力こそ主人公だと思い知らされてきました。
どんな治療法でもヒーラーでも治せない病気というのがあります。
それは、「自己が病気をつくり自己が治す」からなのでしょう。
その自己とは顕在ばかりでなく潜在の自分なのです。
潜在の自分を感じられるならそれが分かるのでしょうが・・・。
とまた個人的な思いを書いてしまいました。
岡田茂吉研究をするには必ずしも浄霊法を実験する必要はありません。自己治癒能力を確信するにはむしろ他からの力が強いほど自信が弱くなるかも知れません。
しかし、誰でも浄霊法の様なことはできますから、自信で実験するには「自己浄霊」をお勧めいたします。
それは誰でももっている手のひらを当てるだけのこと、そして参考になるその当てる場所は病状によってポイントが書かれている浄霊医術論のところを参考にされてください。
ある程度の効果はだれでも実感できると思います。
それが自身の治癒力の自信に繋がり、その自信がまた自己治癒力をパワーアップするという連鎖が起これば他への依存から離れることができます。
特に固める、抑圧するという薬の効果はまだ大きいのですが、これに依存し続けていると、ついにはその積算されて来た抑圧が一挙に解放(浄化=病気症状)に転換せざるを得ないという強制執行もあり得るので、薬などの固め方法は永続性が無いはずです。
この「抑圧」というのはホメオパシーで使われている言葉を戴いたものですが、岡田は「固める」という言葉で表現していました。
現代医学は固め方法である。
固め方法は治るのではなく、一時的に症状を押さえ込んでいるだけだ。
いずれ、その固めたものは溶け出す。
それが再発かまたは別の病気だ。
固めに一番効くのが薬という毒物だ。
これがひと言でいう、現代医学の正体なのでしょうが、この事を細かく病状的に解説して、しかも溶かす方法としての浄霊を手助けとして使えば、誰でも納得できる。
それに絶対の自信があったからこの様な大胆な論文が書けたのでしょう。
つづく
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