わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

転落人生こそ怪我の功名

2005年04月24日 | 電子書籍用ね

転落事故は用意周到

実はこの16日に転落の憂き目にあったのだが、これは用意周到の人生体験では無かったのかと後でふと思った。
それは小山の雑木林の中で伸びきった竹や草を刈るために、エンジン草刈り機で作業していた時のことだった。

転落後、一時まったく動けずに現場てじっとしていた。
ちょっとでも動こうとすると激痛が走るのだ。

片方の足がまったく動かない。
落ちたところは山の斜面に昔作られた横穴の入り口の前だった。
荒れ放題の草樹の為、その上の方で作業していた私には見えなかった。
いや、知っていて見なかった・・・のだろう。
その訳はあとで記すが・・・これは「準備された体験」なのだから。

当時書いた記事をそのまま採用しながら、追記も入れようと思う。


一時間ほどしてから、じりじりと尻をずらしながら移動。
その苦痛はそうとう(キツイ痛み)なものだったが、どうにか這い出した。

具体的に言うと斜面に横穴があってその段差2メートルくらいはあったか?
そこにふっと落ちてしまい、落ちたところに大きな切断した丸太があり、その角に腰を激突したわけである。

その詳しい経緯はのちほどにして、今回はこの転落からいろいろな事を学んだ。
もちろん、例によって薬もレントゲンも嫌だから救急車も呼ばなかった。
この仕事を頼んだ人が「救急車を呼ぼう」と言ったが、私は固く断った。

もう少し休んでいれば・・
少しは動けるようになるだろう。

この期待は時間が過ぎても解決しなかった。
時間と供に段々と全然回復の見込みが無い事がわかってきたからだ。

午前中は気候もよくて、その場所に居てもよかった。
だが、さすがに少しは外に出ようとして、足を引き釣りながら腕の力だけでそこから脱出しようとしたのだ。

ちょっとでも足が動くと、激痛が走る。
だが、静かにしていればそれほど痛くないのが不思議なくらいである。


数メートル移動するのにも大変な労力だったし、足に激痛が来るから、少しずつしか移動できなかったが、どうにか穴の入り口から平地に這いずり出ることが出来た。

そこで、もう少し時間が過ぎればもしかしたら・・・動けるかも知れない。
そんな希望は全然適わないことは後でわかったのだが。

とにかく、このままジッとしていよう。
ただ、そこの座っているだけだ、いや片方の脚は微塵も動かせないのだから。
怪我の無い方の脚を動かそうとしても、こちらの脚に激痛が走る。

結局、両足を動かせない半身マヒの状態のようである。
腕だけで身体を移動させるのはとても困難だったが、脚をどうにか引きずりながらも移動せざるを得なかったわけは、春とはいえ、お日様が移動(地球が移動か)するので日陰に入ると寒いのだ。


携帯電話をポケットに入れておいた事が幸いした。
(当然だろう、予定の事故だから・・・苦笑)


救急車は断ったが、もしこのまま動けなかったら・・
そうだ、いざという時には患者輸送車というものがある。
昔、タクシー会社に勤めていたので、こういう車があることを知っていたのだ。


そうだ、いまのうちに予約しておこうか・・
いや、いざという時に来てくれるかを確かめておこう。

それで電話をしたのだが、電話番号はどうして分かったのか思い出せない。

それとともに、そうだNさんに頼もう。
昔所属していた「薬は一切使わない会」の大先輩だったからだ。

普通に人に頼めば、当然病院か医者に連れて行かれるからだ。
いざという時に、医者も病院も断る人間など相手にされないだろうし。


そこで、Nさんに電話して予約したのだった。
予約というのは、「いま午前中の状態では動けないが、もしかしたら午後になってから動けるかも知れないので、様子をみてから救援を頼みます」と。


それは全然的外れだったのだが、結局Nさんは午後にお願いすることになった。
わざわざ新潟市の方から来るまで来て戴いたのだったが。


午後になると日陰が延びてくるので寒くなり、両腕だけで身体を移動するが動くと激痛が走る。
それでも、少しずつ移動して日当たりに入るのだった。


午後3時過ぎになったか?
新潟からNさんが駆けつけてくれた。
その時にはかなり日陰が延びてさすがに気分も落ち込みだったが、気は確かで電話で患者輸送車を手配して、五体不満足の介護生活必要の妻の心配もして、介護会社に明日からの予約手配までしておいた。

Nさんが来てくれた。
「車に乗せてやる」とちょっと支えようとしてくれたが、激痛が走り全然動けない。

その代わり、タクシーの患者輸送車を頼んであったので乗務員二人で来て担架で運んで貰った。その際、乗ってきたマイカーは代行車扱いでもう一人の運転手が付いてくるというので、私の車を家まで運んで貰えた。

そうして、Nさんが家まで来るまで付いて来てくれた。
患者輸送車が家の近くに着いたちょうどその時、妻の介護施設の車が同じく着いた。

驚いた事だろう(笑い)

こうして、二人して身体不自由な要介護者が家の中に運び込まれたのだった。(笑っていいのか?)


その後の経過は記述すると長くなるのでまた別の時に。



結局、この転落事故を振り返ってみると、
落ちた後は数時間は激痛で右足はまったく効かなかった。
ほんとにじりじりと尻をずらして移動するだけだった。
しかし、想いもしなかった現象として、動かさないとあまり痛みがなかったことだ。

これはその後一週間たってもやはり動かなければほとんど激痛というものが無い。
ただ、くしゃみだけは出来ない。
激痛がおこりとてもくしゃみどころではないのだ。

トイレも一週間使わなかった。
小便は妻のおしめを流用。大便が一週間出なかったのだ。
ただ、一週間後には大変な難産だったが(苦笑)


とにかく静かに動かないでいるとほとんど痛みが無いのだった。
少し移動する時は激痛だったが、それ以外はまったく快調に眠ることができ、ほんと痛みが少ないというのはどうしてだろうか?

どうも考えてみたら、理屈としては打撲した(骨も異常があるかもしれない)箇所には体内の毒素が集まるという第一浄化作用の原理があるが、その毒素があまり強くない状態だったかも知れない。

なぜなら、もうかれこれ25年くらい薬毒を入れていないからだ。
そこに集まる毒素が少なければ毒素の浄化の痛みが少ないのかも知れない。

刺激する所に毒素は集まるというが、毒素が少しは薄くなっていたのかも知れない。

それと未だ浄霊という手かざし方法は捨てていないので、即手当を自分でしていたのもよかったのかも。あと、落ちてしばらくは身体を動かさない(動けないので)状態を保っていたことか。

それにしても、自然治癒の力は凄いしありがたいという事を確信できた。
まったく怪我の功名とはこのことだろう。

ただ、最初は不安もあった。このまま後遺症が残るのでは無いのか?という先々の事を考えもした。
本当はレントゲンくらいは撮ってみて貰うのが常識なのだが、特に曲がったままの状態でもないようだ。

私の状態を見た人は、必ず病院、レントゲン、湿布をすすめてくれる。
それが常識だからだ。
みんな親切で言ってくれているのだ。

しかし、25年も薬はもう嫌いだから入れないし、レントゲンも放射線の害が怖くて断って(厳密に言うと近年、歯医者で2度撮られたので皆無でないが)来たのだし、今もレントゲンを撮りたいとはどうしても思えないのだ。


で、一週間経ったが、これ以上悪化したかというと、いたって順調になってきているようだ。
少しは不安もあったが、悪化の気配も無いし、すこしづつ足も動き始めてきたので、もう一週間もすると大分快方に向かうと思う。

病気だけでなく、こういう打撲や骨折もよほどの骨の異常が無い限り、自然に任した方がどうも楽であり治りも順調に行くような気がする。

しかし、変な骨のくっつき方をすると不味い事もあるので、あまりこだわらずにレントゲンで撮って貰うかも知れない。


今もまだくしゃみが出来ないが、ふつうにしていれば極めて快適と言ってよいくらい楽である。
そして、動けない時だからいろいろな事にじっくり取り組んだり、考えたり、また不自由なひとの気持ちも察することができるし、面倒をみてくれた方への感謝も大きくなる。

一時的にはつらい目にあったが、それに増していろいろな大切なことも思い出せるきっかけになったので、これは転落人生も上昇人生に転じるきっかけになるという、実にありがたい結末になりそうだ。

ありがとうございます。 

今だから言える。  ほんと!!

「用意周到」「準備済み」という具体的な話は別の記事で書きます。

 

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