わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

医学は科学か? いや宗教だと言った医学博士も居たよ。

2009年02月17日 | 岡田茂吉医学論研究会用
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医学はほとんどの病気の原因を外からやって来る微生物だと言う。

そして、今の時点で発見できる最小の存在となるもの、それをウイルスと名付けた。

そのウイルスさえ撲滅すれば、そのウイルスを防げるなら病気の心配は無いと思いこんでしまった。

今の電子顕微鏡ではウイルスの奥にある存在が見えないのである。

まだウイルスでさえも中間点であるとしたら・・・

ちょうどゴミ溜めの腐った物にウジがわいてきたのを、ウジが物を腐らせていると錯覚してウジだけを退治しようとしているオバカサンに似ている。


ちょっと、ちょっとお~~~~

ウジ追っ払ってばかりいたって、その腐るような汚物を片付けなくちゃダメだよ~ん。

え?

そんな汚物みえないんだも~~ん。

そう、普通は見える汚物がその坊やには見えないのだ。

だから、見えるものしか相手にできない。

そんな事を真剣に眉潜めてやって来たのが笑ら人類なのだった・・・・


またばか話をしてしまったが、

岡田茂吉論文より


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 医学は科学?


 

 私は常に現代医学は未だ幼稚なものであると言っているがそれについて成可く詳しく書いてみよう。

先ず現代医学の考え方は病源は悉く黴菌としており、その種類なども色々な研究によって増えつつあり、其の培養手段や感染の経路などについても大いに進歩したといわれているが、

それらは末梢的進歩であって謂わば広いが浅いのである。

 

処が

本当に黴菌の本体を知るには、右とは異って狭くとも深い処に到達しなければならないので、この深さの研究こそ根本である。

  (中略)


 成程現在迄の顕微鏡は菌だけを見る事が出来るが、その奥のヴィールスは見えないのである。

 

しかしヴィールスも実験によって確実に在る事だけは分っているがそれから先が問題である。

事実行止りになって進むことが出来ないのが現在の黴菌医学である。

 

右の如しとすれば

ヴィールスよりも一層深部の発見こそ根本である。

其処まで行かなければ菌の本体は分る筈がないのは言うまでもない。

 

  (中略)

であるから私が常に唱えている如く、

現代医学は科学ではなく推理的産物であり迷信であるというのである。

 (昭和二十七年十二月十日  栄光 一八六号)

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

(ちょっと、ボク的解釈を以下に)

この時代ではウイルスの事をヴィールスとも言ったようだ。

そして、この時期には未だウイルスを光学顕微鏡などでは見ることが出来なかったようだ。

じきに電子顕微鏡がそれを発見できるようになったのだが、電子顕微鏡で見える範囲までが物質界の範囲とされたわけだ。

たしかに病気と言われるような細胞の周りにウイルスの発見があったのは事実。

しかし、

そのウイルスは生物とも無生物とも断定できなような中間地点の存在と医学では言われているが、岡田論文では、実はまだその奥の世界との繋がりが連続している事を言っている。

それを宗教的には霊界と言い、科学ではいまどう呼んでいるのだろうか?顕在の世界に対する潜在の世界とでも呼ぶのか。

そして物質と非物質の世界の境目(境界)的な存在となっているのがウイルス。

(境目というのはその時代に発見され確かめられる範囲内で境界線を付けているだけのこと。本当は物質と非物質界の境目などがあるわけでなく、人間が認識できるところまでを物質界と称しているだけのこと。昔の境目が原子までだった様に、ウイルスという微粒子状態のそのまだ先にはもっともっと超微粒子の世界、エネルギーとか波動とか言われている世界が連続して続いている)

ウイルスさえもまだ根本微粒子ではなく、人類がようやくその存在の位置まで確認できる様になっただけの発展途上科学で、ウイルスが病気の根源では決してないのであるが、その先をまだ発見確認できない科学の推論で今の「病源ウイルス論」を造り上げているだけのこと。

決定的な確認ができた事実でないわけで、科学でもなんでもない「ウイルス論」でほとんどの病気を解明したかの様な錯覚が今の医学の根本的な誤りであり、その結果が「感染症恐怖症」へと導いている。

(新型インフルエンザとか鳥インフルエンザなど感染大爆発で人類が多数死滅するかのような医学的な推論)

医学はほとんど推論であるということは、

「・・・とされている」 とか「・・と期待されている」などという用語が頻繁に使われていることで証明済み。

そして、医学のその推論は数年後にはどんどん消去改編されている。

それを「医学の進歩」と呼ぶのだから、「間違いの繰り返しが進歩という言葉」なのか?

医学が科学か?

という問いにアメリカのロバート・メンデスン医学博士はこう答えている。

 

「現代医学論は宗教である」

と。

しかも

「迷信の多い宗教である」

そうだ。

 

それなのに、なぜ旧態依然として現代医学が科学と思われ、進歩していると思われているのか?

 

それは、

絶対多数派の現代医学教信者さんが居るからだ。

ただ、それだけのことなのだ。

信者さんに理屈や理論など通用しないのだ。

ただひたすら信じ切ることが立派な信仰者として褒め称えられる世界が宗教だからだ。

 

それは正真正銘な宗教であろうが、科学と言われる医学であろうとおなじ事なのだ。

 

  (akyoon体験済み談)

 

 

 

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