Don’t Dilly Dally

…とことことことこ

年末に観たくなる映画 #01

2024-12-20 11:58:37 | 映画

年末になると観たくなる映画と聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは、1995年日本公開のジャン・ロシュフォール主演のフランス映画『パリ空港の人々』です。スピルバーグ監督がトム・ハンクス主演で同じ題材の映画を撮っていますが、私は俄然『パリ空港の人々』推し。そのくらい大好きな映画です。

映画の内容を説明すると、

舞台は年末のパリ空港。パスポートを盗まれたことで空港のトランジット・ゾーン(外国人用処理区域)で過ごすことになった一人の中年男性と、その場に住み着いている人々との交流が描かれたヒューマン・ドラマです。

戸惑う主人公と同じように空港に足止めをされている人々。

それぞれの事情で空港のトランジットルームにいるのですが、何年もそこで過ごしている人ばかりで、すでに住人のようになっています。

監視を掻い潜って空港内を歩き回る彼ら。

主人公は靴も盗まれているので、黒人の少年が調達してくれた黄色い長靴を履いています。そして常に手に抱えているのは奥様へのスーベニア。

大晦日のディナーの準備をする彼ら。

私が初めてこの映画を観たのは、20代の頃でした。

パスポートを失い入国できない主人公と空港から出るに出られない人々との不思議な共同生活。3日程度の話なのですが、主人公にとっては内容の濃い数日となります。

フランスの国土内でありながら税関を通過しなければ、そこは国籍を持たない場所。自分を守ってくれる保証も法律もない一方で、制度や権力とも無縁の場所で日々を送る彼ら。

コメディタッチに描かれながらも観ている人の心に強く呼びかけてくるあたりが、さすがフランス映画といったところです。

この映画には実在するモデルがいます。それがこの方。※画像はネットからお借りしました

イラン出身のマーハン・カリミ・ナセリさん。

パリ空港で18年間生活した人です。ナセリさんは、イランで生まれ、イギリスに留学。イランに帰国後に当時の王制に反対する抗議デモに参加した容疑で拘束され、パスポートを所持しないまま国外追放となりました。ベルギーや西ドイツなどに難民申請をしましたが却下され、やっとベルギーで難民として認められました。

しかし、途中で訪れたパリで身分証明書や航空券が入ったカバンを盗まれ、パリ空港のトランジットゾーンで生活し続けることになってしまったのです。スピルバーグ監督の『ターミナル』のヒットによりフランス滞在許可とアメリカ入国が認められ、2007年に18年の空港生活から解放されますが、2022年に病死しています。
 
彼が最期を選んだ場所は、やはり18年を過ごしたパリ空港のターミナルでした。同空港で77歳の人生に幕を閉じたのです。彼にとって空港はどういう場所になっていたのか、彼の人生そのものになっていたのではないか、そう思うとなんとも言い難い気持ちになってきます。
 
 
 
私が初めてこの映画を観たとき、パリ空港の人々、とくにコロンビア人の女性がなぜ空港から出られないのか疑問でした。しかし映画のモデルとなったナセリさんの経緯を知り、「そういうことか」と納得できました。そして、ますます国境とはなんだろう?IDとはなんだろう?そんな疑問が生まれました。
 
この映画の中で、大晦日の光り輝くシャンゼリゼ通りやセーヌ川が出てきます。画像はネットでお借りしたイメージですが、映画の中ではとても切ない場面として20代の私の心に深く残りました。
 
 
 
暮れになると観たくなる、とっても大好きな映画です。
 

アメリカで各国の味を楽しむ #03 ~Vietnamese kitchen~

2024-12-15 05:18:14 | 回顧録

クリスマスの時期に訪れたアメリカのレストラン第三弾はベトナム料理。アフガン、ギリシャとくれば、私の中では次にキューバ料理なのですが、残念ながらクリスマスの時期に訪れたことがありません。

日本でもお馴染みのベトナム料理。アメリカでもベトナム料理のレストランは至るところにあり、どこも混んでいるイメージです。アジア系だけでなく、白人、黒人、ラテン系と様々な人々がベトナム料理店に来ています。きっとそれだけ万人ウケする料理ということなのでしょう。もちろん私もベトナム料理が大好きです。

こちらのレストランを訪れたのは日本に帰国する当日のことでした。いつもならニューヨークから帰るのですが、このときはたまたまワシントンD.C.から帰ることになりました。

そしてこの日はまさにクリスマス当日。アメリカでクリスマス当日に開いているレストランは少なく、ホテルの近くにたまたま見つけたのがこちらのベトナムレストランでした。

アメリカの首都、ワシントンD.C.近郊だけにお洒落で洗練された雰囲気のレストラン。

こちらがこの日にオーダーしたもの。

料理もちょっとお洒落な感じ。この日は少しスパイシーな味付けのフォーを選びました。前日のクリスマスディナーで疲れていた胃にジワ〜と沁みわたるスープが本当に美味しかったです。

私がアメリカ滞在中にベトナムレストランへ行くときは、大抵がガッツリコッテリとしたアメリカ料理に胃が疲れて、少しヘルシーなものが欲しくなったときが多いような気がします。フォーの優しい味付け、ふんだんに使われたパクチーを中心とした野菜の数々…。

こちらは滞在先(NJ)のアパートの近くにあるベトナムレストランの料理です。

BFのお気に入りの店で定期的に訪れています。ワシントンD.C.のレストランのような洗練された雰囲気ではなく、まるで現地の食堂で食べているような雰囲気。そんなところが私のお気に入りでもあります。

こちらはメリーランド州でたまたま訪れたレストラン。

訪れたのは真夏のある夕方のこと。食事中に降り始めた突然の激しいスコール。店内にいた白人客も我々もしばらくこちらの店で雨宿り。ベトナムコーヒーを飲みながら、夕立ちとしては少し激しいスコールを窓越しに眺めていたのも良い思い出です。

最後にまたクリスマスに話は戻り、先ほども述べましたがワシントンD.C.からの帰国の日はクリスマス当日でした。レストランもガラガラでしたが、空港もガラガラでした。

ほらね。さすがクリスチャンの国です。ちなみにホテルに宿泊していたのもイスラム系の人ばかりでした。

雪だるまに別れを告げて、私は一人日本へと長い空の旅。BFはニューヨークを目指してガラガラのハイウェイを一人ドライブ。

この日のワシントンD.C.の気温は氷点下。寒い街に別れを告げて、到着した日本はまさに師走の慌しさでした。

今年も残すところあとわずか。もうすぐお正月ですね。

 


アメリカで各国の味を楽しむ #02 ~traditional Greek menu~

2024-12-11 12:55:37 | 回顧録

前回の投稿に引き続き、クリスマスシーズンに行ったアメリカのレストラン。第二弾はギリシャ料理です。私は都内の地中海料理のレストランには行ったことがありましたが、本格的なギリシャ料理のレストランはこの日が初めてでした。

私たちが訪れたのは、ニューヨークのタリータウンにあるグリークレストランです。タリータウンはマンハッタンから北に40㎞、ハドソン川の東岸に位置します。街の中心地から少し離れたところに車を停めてレストランまで歩いて行くことにしました。

ハッピーホリデーの期間は駐車料金が2時間無料になるという素敵なシステムのアメリカ。

もしかすると州によるのかもしれませんが、私の滞在先であるニュージャージーの街も同じようにこの期間は2時間無料になっていました。

電話ボックスにサンタクロースを発見。

トナカイに電話でもしてるのでしょうか。

レストランに入る前にタリータウンの街を散策しました。

可愛いらしい街。

頑張っておしゃれをしましたという感じの12歳くらいの可愛い女の子たちとすれ違いました。きっと電車でマンハッタンにでも遊びに行くのでしょう。

向こうの壁では私の大好きなダルメシアンがサンタさんのお尻をかじっています。

あらら。サンタさん大慌て。

そしてお目当てのレストランがこちらです。

ギリシャのカラーである青と白のレストラン。店内もこんな感じ。

この日にオーダーしたのは代表的なギリシャ料理のあれこれでした。

タコのグリル、スパナコピタ(ほうれん草のパイ)、イェミスタ(パプリカのミートライス詰め)、スブラキ(ハーブの効いたラム肉の串焼き)、ティロピタ(チーズパイ)です。

どれも美味しいけれど、やはり絶品はギリシャ料理の代表ともいえるタコのグリルではないでしょうか。

オリーブオイルとレモン、ハーブの効いた料理の数々。シンプルで爽やかな味わい。これらの料理を楽しみ、食後にグリークコーヒーを飲むと長生きできそうな気持ちなるから不思議です。

食事の後は、ノースタリータウンのスリーピーホロウへ。

Sleepy Hollow は、ニューヨーク近郊で語り継がれている伝説です。ジョニー・デップ主演映画『スリーピー・ホロウ』やディズニーのアニメーション『イカボードとトード氏』でも描かれています。

脚色は様々ですが、首なし騎士の伝説を簡単に説明すると、「首を切られた騎士が頭部を失ったまま復活し、夜の森の中で眼の光る馬に乗りながら次の獲物を待ち構えている」というもの。

いかにも首なし騎士が潜んでいそうな雰囲気です。

Sleepy Hollow Cemetery(スリーピーホロウ墓地)は物語のキーワードにもなっているのですが、ロックフェラーやカーネギーなどの著名人が多く眠っていることでも有名です。

こちらがディズニーのアニメーション。

(・∀・)

すっかりギリシャ料理から離れてしまいました。最後に、こちらがタリータウンのグリークレストランの全体像。私にギリシャ料理の美味しさを教えてくれた店です。

 


アメリカで各国の味を楽しむ #01 ~Cuisine from Afghanistan~

2024-12-09 12:06:54 | 回顧録

BFが弾丸で日本にやってきて、慌ただしくアメリカに戻ってから早くも10日が経とうとしています。BFは日本で中華料理と海鮮料理、そして駅弁を堪能して帰っていきました。

アメリカといえば各国の料理を楽しむことができます。移民大国だけのことはあり本格的な味を提供しているレストランが多く、現地を再現しているような食堂から洗練されたレストランまでスタイルも様々です。

私は去年同様に今年も日本でクリスマスを迎えることになりました。せっかくなのでクリスマスシーズンに訪れたアメリカの各国のレストランを思い出して懐かしみたいと思います。まずはボストンで訪れたアフガニスタン料理のレストランから。

マサチューセッツ州ボストンといえば歴史的な建造物が立ち並ぶ美しい街で有名です。

上の画像は、アメリカ最古のレストラン『Union Oyster House』の店先です。店名の通り、美味しいオイスター料理の数々、そしてクラムチャウダーが絶品なのですが、こちらには春夏秋冬を問わず何度か訪れているので、詳しくはそのうちに。

ボストンの冬は、日本の北海道よりも寒く、極寒期では氷点下15~20度まで気温が下ることもあります。

暗くなる前でも美しく輝くボストンの街のクリスマスツリー。

そしてこちらがボストンにあるアフガニスタン料理のレストランです。

中東の国アフガニスタンといえば、アル・カイーダ、タリバーン政権、断続的に続く紛争や自然災害などで人々の生活が困難だというイメージしかありません。

しかし、訪れたこちらのレストランはアメリカの中でも生活水準の高いマサチューセッツ州に店を構えているだけのことはあり、洗練された高級レストランといった雰囲気でした。

洗練された雰囲気と中東のオリエンタルな雰囲気が入り混じった店内。

この日のオーダーがこちら。アシャク(水餃子)、ボラニ・バンジャン(揚げたナス+スパイシーなトマトソースと酸味の効いたヨーグルトドレッシング)、そして長粒のバスマティ米の添えられたヘルシーなお肉のプレートです。

濃厚でいてヘルシー、スパイシーなようで優しい味つけのアフガン料理の数々を堪能できましたが、お値段もそこそこお高い。日本の焼き鳥をアメリカの焼き鳥屋で食べると驚くほどお高いのと同じでしょうか。

アフガニスタン料理を満喫し、鼻歌まじりにホテルに戻ったのですが、女性が公の場で歌うことを禁止されているアフガニスタンの国。全身や顔を布で覆い、街を歩かなければならない国。

アフガニスタンへの渡航を検索してみると、

『現在、日本政府はアフガニスタン全土に退避勧告を発出しています。 アフガニスタンへの渡航は、どのような目的であれ止めてください。 また、既に滞在されている方は、速やかに在アフガニスタン日本国大使館まで連絡するとともに、直ちにアフガニスタンから退避してください。』

当初は3カ国のレストランを載せるつもりでしたが、長くなりそうなので分割して載せることにしました。まずは世界の平和を祈って、世界中の人々のお腹が満たされることを祈って、今回は終わりにします。

そういえば、

アフガニスタンはイスラムの国だからクリスマスは関係ありませんが、エントランスのトナカイが可愛らしかったです。なーんて、ただの鹿だったりして。(笑)


私が見つけたもの

2024-12-05 13:07:43 | 雑記

アメリカから日本へ弾丸で来ていたBFを空港で無事に見送り、私が前回まで投稿していた『Welcome to Japan』シリーズは、未完を決め込むことにしました。

私たちの別れにはいつも涙やロマンスはなく、軽くハグをして「またね」とお互い笑顔。別れのたびに泣いていたら涙がいくつあっても足りません。

彼を乗せた飛行機を見送った翌日、私は生まれ育った茅ケ崎に立ち寄り、両親と姉のお墓参りをしました。数年ぶりの訪問を反省しながら、久しぶりに両親と姉に手を合わせました。

手を合わせながら、「そうだ。私もBFのように思い出の場所へ行ってみよう。」ふとそんな考えが頭に浮かびました。

翌日に向かった先は、大雄山の最乗寺。道了尊とも呼ばれる山の中にある静かなお寺です。

よく訪れたという意味の思い出の場所ではなく、幼い頃の記憶にのこっている場所で、訪れるのは少なく見積もっても、およそ45年ぶりになるはずです。

美しい紅葉と長い階段が私を出迎えてくれました。

私が二十歳くらいのとき、「大雄山のお寺に行こうよ」と両親を誘ったことがあります。しかし、すでに体を患っていた父からの返事は、「あそこは階段が多いから、今のお父さんの体では無理だよ。」というものでした。

それ以降、訪れる機会もなく、私の記憶からも薄れてしまった大雄山の最乗寺。

父の言葉を思い出す階段の多さ。健脚な私は難なく登れますが、体力の衰えていた父には確かに無理だったことでしょう。

階段を登りきると、幼かった私の心に大きな印象を与えた数々の下駄。

この光景だ。

まだ本当に幼かった私に両親が、「どの下駄なら履けるかな?」と笑いながら語りかけてきたのを覚えています。あれからいったい何年経つのでしょう…

私はいまだに自分の夢や望みを形にできずにいます。

計画を立てているようでいて、現実の形として具体的には何も描けておらず、ただ闇雲に日々を駆け抜けている気がします。今の私に必要なことは、もう少し長い目で事の成り行きを見ることかもしれません。つまり、幼いころから何も変わっていないということ。これが持って生まれた気質というのでしょうか。

そういえば、途中で天狗に出会いました。

烏天狗と山伏姿の大天狗です。

神通力を持ち、自由自在に飛び回ることの出来る翼を持つ天狗。

未来を見据え、聞く耳を持ち、天狗のように自由に自分の行きたい場所へ行く。私は相変わらず目標設定があいまいですが、深く静かな山の中にあるお寺の境内を歩きながら、そんなことを考えていました。

私が幼い頃から苦手としていたもの、それは努力。この努力という力を私は人よりも使っていないはずなので、きっとまだまだ余力はあるはずです。憧れや見栄ではなく、自分の実力相応のところに目標を持ち、そこを目指して努力をするということ。

これが、今回のBFとの再会、そしてこの長い連休の中で私が見つけたものです。

もう一歩の努力。

 

そういえば、我が家のお墓の前でどこかのネコが日向ぼっこをしていました。

私の代わりにお墓を守ってくれているのでしょうか。もしそうなら、これからもよろしくお願いしますね。