Don’t Dilly Dally

Maybe I’m a wanderer

難しい問題

2025-02-12 11:53:47 | 滞在記(6/2024~)

ちょっと難しい問題に巻き込まれています。

先日、ある女性から「セクハラの被害に遭っている」と相談を受けました。私は相手の男性も知っており、二人が仲良く話しているのを何度も目撃していました。だから私は単に〝仲良し〟なのだと思っていました。

男性は50代後半の既婚者、女性は40代前半で二度の離婚経験があり現在は別の男性と暮らしています。言うなればどちらも大人なわけです。私の目から見れば、この被害を訴えている女性は男性に対して態度の変わる典型的な〝女〟で、相手の男性もそれが満更ではない様子でした。正直私は「この二人はそのうち行くところまで行くのではないか」と密かに思っていたくらいです。

状況が大きく変わったのは先月のこと。その男性主催の飲み会が開かれることになったのですが、その男性はその女性を呼ばなかったのです。しかし私は「ははーん、すでに二人で密会しているから飲み会にわざわざ呼ぶ必要がないのだな」と勝手に妄想していました。

しかし私の妄想は間違っていました。誘われなかった女性のプライドは大いに傷つき、それが怒りと変わり、「私は前々からあの男性からセクハラを受けている」と言い始めたのです。

「え?あれだけ仲良くしていて、こう言ってはなんだけれど媚びを売っておいて、今更セクハラはないでしょー」というのが私の率直な意見でした。ですから「自分の態度をまず改めたほうがいい。嫌がっているようには私には見えない」と正直に本人に告げました。

本人曰く、「態度に出すと相手の機嫌が悪くなるから出せない」と言います。実際の被害内容も聞いたのですが、「え?その程度?」と思ってしまうのは私が50を過ぎたオバサンだからでしょうか。

そして昨日、ここはもう相手の男性本人の耳に入れておこうと思い、私は全てを相手の男性に話しました。髪や手に触れたのは事実のようでしたが、「ふざけてもいたし、本人も嫌がっていなかった」と驚きを隠せない様子でした。

今回の件で、あらためてハラスメントの見極めの難しさを思い知りました。厳しい指導はパワハラになりますが、厳しいと感じる度合いは人それぞれ違います。セクハラにも言えることで、何を持ってセクハラと言うのでしょう。

今回の場合、当事者の女性はそのときは嫌がっていなかったはずです。しかし自分の面白くない状況になったのでセクハラを持ち出した、としか私には思えません。そうなると、この男性は今後どのように対応していけば良いのでしょう。

ハラスメントという言葉で相手を攻撃し、自分をプロテクトして、その結果として何を得ることができるのか。とても疑問です。


初恋ではないけれど

2025-02-02 07:23:39 | 雑記

バタバタと一月が終わり、気がつけば二月を迎えてしまいました。

二月といえばバレンタイン。初恋ではないけれど、幼なじみの男の子M君のことを思い出しました。実家があった辺りにも当時は畑がまだ少し残っていました。畑を挟んだ向こう側に二軒の家の建築が始まりました。当時の私は小学校3年生。ひょっとするまだ2年生だったかもしれません。私はその家が出来上がっていく様子を毎日眺めていました。

ちなみにこちらの画像は横浜の異人館。

私の実家は決してこのようにお洒落な家ではありませんでしたが、数年前に訪れたとき、このレトロな雰囲気から当時の記憶がよみがえりました。ある夕暮れ迫る頃、父が帰宅しました。

私は父に「お帰りなさい」と言い、「あの家の職人さんたちもさっき帰って行ったよ」と窓から見える畑の向こう側の建築中の家を指差しました。そして父に訊ねてみました。「どんな人たちが引っ越してくるのかな?」

私は新しいご近所さんが増えることにワクワクしていたのです。自身も建築職人だった父は窓から建築中の家を眺めると、「上に三部屋ある。子供が2人いるか、もしくはその予定か、そんなところだろう」と答えました。

「どうしてわかるの?」

「柱を見ればわかる」

「下の方が柱がいっぱいあるね」

「どの家もそうだよ。下の方が柱がいっぱいあるんだ」

「下の方が部屋がいっぱいあるように見える」

「台所と、風呂場だろ」

そんな会話をしながら、窓から建築中の家を父と並んでしばらく眺めていました。

「この辺りに子供が増えるね!」と私が勝手に想像を膨らませて喜んでいると、「子供の年齢にもよるけどな」と父が笑いました。

いよいよそのニ軒が完成し、そのうちの一軒であるオレンジの屋根の家に引っ越してきたのがM君でした。

M君が転校してくる前日のこと。やはり夕暮れ時に帰宅した父が鼻歌まじりに母と楽しそうに話していたので、不思議に思った私は「どうしたの?」と声をかけてみました。すると母が笑顔で答えました。

「お父さん、男の子に声をかけられたんですって」

男児を待望していた父ですが、残念ながら生まれてきた子供は続けて女の子。さらに父は子供が話しかけやすい雰囲気では決してなかったので、子供のほうから話しかけてくるなんてとても珍しいことでした。

手を洗う父に、「だからあなた、嬉しそうなのね」と母も嬉しそうに話していました。そして手を洗い終えた父が私に言いました。

「あのオレンジの屋根の家に引っ越してきたらしいぞ。明日から学校だって言ってた。自分から名前を教えてくれたけど、ちょっと変わった苗字の子だったな。こちらの名前も聞かれたから〝おじさんの娘は〇〇だよ〟ってお前の名前を教えておいたよ」

翌日、休み時間に一人でポツンと席に座っていた転校生の少年に声をかけてみました。

「昨日うちのお父さんと話したでしょ?」

するとその少年はキョトンと私の顔を眺めてから、次に私の名札を見て、

「あ!昨日の〇〇さんの子供なの?そーだ!子供の名前は〇〇だって言ってた!今日一緒に帰ろう!明日も一緒に学校に来よ!」

なんとまあ素直で明るいこと。それがM君との出会いでした。

転校初日、学校から帰るとM君とM君のお母さんが我が家へ挨拶に来てくれました。

「M君ね、今日は男の子のお友達が出来なかったんですって。あなたと仲の良い男の子のお友達を誰か紹介してあげたら?」と私の母。

「いいよ!」と私がM君を連れて行ったのはワンパク坊主でガキ大将だったH。すぐに2人は仲良しになり、学校の行き帰りも、下校後の遊びもいつも一緒。女の子と登校している私を後ろから追いかけて来て「おはよう!」とスカートめくりをして駆け抜けていくガキ大将のH。「やめてよ!」と怒る私。Hの後ろを追いかけるように駆けてきたM君が立ち止まって「おはよう」と笑顔を見せ、再びHを追いかけていくというのがこの頃の朝の日課。

私が小学校5年生のときに父は病に倒れ、建築職人の生活に別れを告げて、入退院を繰り返しながら自宅で闘病生活に入りました。その頃は、私とM君はクラスも離れ、お互いの家を行き来することもなくなっていました。

ある冬の日。父が母に話していました。

「あの子を見かけたよ。すっかり大きくなってた」

「そりゃそうよ。この子(私のこと)と同い年ですもの。あの子だって来年は中学生になるんだから」

「あのこももう中学生か…。俺のこと、まったく覚えてないみたいだったよ」

父が少し寂しそうに笑うと、

「仕方ないわよ。大人にとっての3年はあっという間だけど、子供は3年で一気に大きくなるんだから」と母が優しく父に微笑みかけていました。

さらに3年が経過し、再びM君と同じクラスになりました。すでに二人とも中学校3年生。生意気盛りといえど、M君の素直さは変わらず、思い出話に花が咲く日々。M君の隣の家のお兄さんが私の家庭教師だったこともあり、再び私たちの距離は縮まりました。

高校受験が近づき、進路を迷っていたときにM君が真剣な眼差しで私に言いました。

「同じ高校に行こうよ」

その言葉を聞き、そしていつもと違うM君の眼差しを見て、私はなぜか涙が出そうになりました。しかし、やはりなぜか担任の教師は同じ高校を受験することに猛反対。

ある晩、父と母が話していました。

「いいじゃないか。S高校を受験させてやれよ。あの子だろう?〝同じ高校に行こう〟なんてなかなか言えるものじゃないぞ」と微笑む父。

「無理よ。いくらお願いしても担任の先生が願書にサインしてくれないわよ」とため息をつく母。

結局、私たちは別の高校に進み、向こうからの歩み寄りがあったにもかかわらず、私はM君を遠ざけてしまいました。素直なM君の思いに逃げ腰になり、自分の恋心を認めようとせず、私はそのままM君の存在を封印してしまったのです。

それからおよそ30年後、横浜の異人館で『ある男の子の部屋』を見たとき、M君のことを思い出し無性に会いたくなりました。M君の名前を検索してみると、Facebookですぐに見つけることができました。

そして悩みに悩み、思い切って「私のこと憶えてる?」とメールをしてみました。すると「もちろんだよ!」と即返信があり、お互いの近況報告を終えると「こんど会おうよ!」と相変わらず屈託のないM君。

いくら幼なじみといえど、既婚者のM君とまさか2人でいきなり会うわけにもいかないので、M君のご両親と奥様を交えての30年ぶりの再会。うちの両親が生きていたらどんなに喜んだだろうと心の底から思ってしまいました。父とM君を再会させてあげられなかったのが本当に残念です。

頻繁に会うことはなくなったけれど、M君とは今でも友達です。ついでにワンパク坊主のHともFacebookの繋がりで再会して、今も当時と同様にHは私にとって頼もしい存在。「俺は〝ついで〟かよ」というHの声が聞こえてきそうだけれど。(笑)

 

 


Let’s Go ミュージカル ~in NY~

2025-01-25 14:26:08 | 回顧録

そういえばブロードウェイのことをまだ投稿していませんでした。ブロードウェイといえば、ニューヨークでミュージカルシアターが立ち並ぶエリアのことですが、正確にはマンハッタンを南北に抜ける大通りのことです。

でもやはりブロードウェイといえばミュージカル。先日テレビで『ウィキッド』について流れでいるのを見て、とても懐かしくなりました。

だからまず『WICKED』から。

場所は、ガーシュイン劇場。

この日は一人での鑑賞になりました。アメリカに到着してすぐに BFが仕事で留守にしなければならなくなり、私のためにミュージカルのチケットを購入してくれていたのです。今ではこの頃の優しさはなくなりフツーに一人で留守番しています。

時はコロナ禍。場内はマスク着用。そして入口ではワクチンの接種証明書を提示しなければなりませんでした。当然ながら外国人観光客なんて一人もおらず、私の前後は白人だらけ。ポツンとアジア人の私。

そして開幕。緑の魔女エルファバも素敵でしたですが、ちょっとコメディタッチなグリンダがとても可愛くて私の目は彼女に釘づけ。

『WICKED』の舞台芸術は数々の賞を受賞し、とても素晴らしいことでも有名です。もちろん期待を裏切らない評判通りの素晴らしい舞台でした。

あっという間の2時間半。外に出ると少し雨が降っていましたが、興奮して心も体もポカポカ。BFが車で迎えに来てくれているはずの場所まで足どりも軽くスキップ状態でした。

午後11時過ぎ。夜のニューヨークで鼻歌まじりに気分はグリンダの私。

しかし、治安が良くなったといえどニューヨークはニューヨーク。夜は注意が必要です。くわばらくわばら。

そして次は私の大好きな『THE LION KING』。

場所は、ミンスコフ劇場。

日曜日の午後、BFと一緒に観にいきました。日曜日ということもあり子供もたくさん観に来ていました。

この日は前方の席。

演者の筋肉の動きまでわかる近さ。間近で観ると演者の日頃の稽古での努力がわかるようで、違った目線でのミュージカル鑑賞となりました。

もちろん「ライオンキング」はストーリーも大好きで、日本でも劇団四季の「ライオンキング」を何回か観に行っており、悪役である弟のスカーもハイエナのシェンジもみんな大好きです。

しかしどこの劇場でも登場すると必ず盛り上がり、とても人気があるのはこの人ですね。

呪術師のラフィキ。もちろん私も大好き。

ミュージカルのあと、少しニューヨークの街をブラブラしたのですが、ニューヨーク公共図書館のライオンまでムファサに見えてしまう始末。

「ムファサだ!」と喜ぶ私。「三越じゃなくて?」と答えるBF。まったく。

最後は、『CHICAGO』。

場所は、アンバサダー劇場。

米倉涼子さんが主演したことでも有名ですが、本場のブロードウェイであの役を演じた米倉さんの女優魂には敬服します。観てみたかったかも。

この日はBFと一緒に2階席から鑑賞しました。

アンバサダー劇場は小さなシアターなので2階席からでも十分に近く、舞台全体が見渡せるのでオススメです。

リチャード・ギアと私の大好きなレネー・ゼルウィガーが主演で映画にもなっていますが、なんとも痛快で楽しいストーリーです。

『THE LION KING』が子供向けなら『CHICAGO』は大人向けのミュージカル。弁護士が操り人形を使っているパロディシーンは映画でも面白いですが、ミュージカルで観ると大迫力でした。

「楽しかったねー!」と喜びながら劇場の外に出てみると、待っていたのは客引きのお兄さんたち。

日本の観光地にいる人力車のお兄さんたちのような感じでしょうか。

どこで観ても楽しいミュージカル鑑賞。そういえば、この時の『THE LION KING』でハイエナのシェンジ役をラテン系の可愛いお姉さんが演じていました。なんていう役者さんかな。ちょっと検索してみよ。

 


イヌネコだってターキッシュ

2025-01-17 13:14:59 | 回顧録

数年前の一月、お正月休みを利用してイスタンブールへ一人旅をしました。

以前から行ってみたい街のひとつであったイスタンブール。アジアとヨーロッパの2つの大陸に跨る街。私の目当ては大陸を隔てる海峡、ボスポラス海峡でした。

通りの向こうに見えるのがボスポラス海峡です。

ヨーロッパ側から見て、右にずーっと行くとエーゲ海になります。

そして反対側(下の画像)の先が黒海となります。

ヨーロッパ側から見ているので対岸がアジア大陸になります。「ヨーロッパから見るアジア」。同じ都市であるのがとても不思議な感じです。

*

アジアとヨーロッパが融合された独特な雰囲気を持つイスタンブールの街。イスラム文化を守りながらヨーロッパの洗練さを取り入れ、そして独自の文化をアジア的に巧みに守る街です。

街中には街犬や街猫がいっぱいいます。みんなから適当に餌や水をもらい、どこの店にも自由に出入りして好き勝手に暮らす幸福な犬猫たちです。こちらはカフェの前にきちんと座っていた白くて大きなワンコ。

カメラを向けてもツーンと澄まし顔でした。

そしてこちら、高級トルコ絨毯屋の店先だってお構いなしだぜ。(笑)

トルコの犬は大きいイメージ。

そして落書きだらけの裏道を入って行くと、

落書きの前にはくつろぐ三毛猫ちゃん。綺麗な毛並み。

フェリー乗り場には眠そうなニャンコ。トルコのニャンコはお顔がエキゾチックなのです。

カメラを向けると、日差しが眩しかったようで目を細めていました。

そしてこちらはアジア側にいたネコたち。

ベイレルベイ宮殿(オスマン帝国時代の夏の離宮)のサンルームカフェの外にいたネコたちです。その中でひとり芝生で物思いに耽ていたニャンコ。

近くに寄っても逃げる気配などは一切なし。

ヨーロッパ側に戻りまして、エジプシャンバザールの近くで夕陽を浴びていたニャンコ。

呼んだらこちらにやって来ました。

やはりツーンと澄まし顔。

一日5回のコーランがモスクから流れるイスタンブール。

その祈りの声を聞きながら自由にのんびりと暮らす犬ネコたち。きっと彼らなりの苦労もあるはずだけれど、私には犬ネコの楽園のように思えました。

*

最後にこちらがブルーモスク。

イスタンブールのシンボルともいえるモスクです。

そしてアヤソフィア。

もともとはキリスト教の教会として建てられましたが、その後、イスラム教のオスマン朝がこの地を制圧し、イスラム教のモスクとなりました。今は博物館になっており、キリスト教の聖母子像とイスラム教のアッラーやメフメットの円盤が共存しています。

この建物の数奇な運命を感じると共に、後のイスラム教であるオスマン朝が建物内にいくつかあるキリスト教の聖画を消さなかったことに少なからず感動を覚えました。

*

最後にトルコ料理について語るつもりでしたが、長くなりそうなので機会があればそのうちに載せたいと思います。世界三大料理のひとつでもあるターキッシュ。私も大好きです。

 


海の神に詣でる

2025-01-10 10:52:40 | 滞在記(6/2024~)

忙しく過酷な年末年始が終わりを迎え、ようやく私も初詣に行くことが出来ました。ホテルの調理場に勤務しているので本当にテンテコマイでした。

しかし、ここでの勤務も残すところあと数ヶ月。私はここで何を学び、何を習得することができるのか、それを思うと貴重な数ヶ月になりそうです。

常に海が見える現在の滞在先、伊豆半島。やはり新年のご挨拶はまず海の神様にしておくことにしました。

こちらは静岡県沼津市にある大瀬神社。

私の滞在する場所とは反対側の伊豆半島の最西端にあります。海の神様を祀っており、駿河湾の漁師たちの信仰の象徴とも言われている神社です。

伊東市内でお昼を済ませてから出発したので、こちらに到着する頃には午後3時を少し回っていました。冬の午後3時過ぎといえば、辺りはすでに夕方の気配です。

鳥居の手前では、海から出たダイバー達が片付けをしていました。その向こうには美しく雪化粧を施した見事な富士山の姿。

冬色の海と空。

相模湾とは少し違う眺めです。

海風が強く吹くなか、鳥居をくぐると神聖な雰囲気が漂ってきました。新年8日の午後3時過ぎ。参拝者もまばらにしかいませんでした。

こちらが本殿に続く階段です。

なかなか急勾配な階段です。強い海風に負けないように手すりに掴まりながら登りました。残念ながら本殿の扉は閉じられていましたが、これが今年の初詣となりました。本殿に向かって左側は静かな海水浴場、右側は荒々しい駿河湾の海です。

激しい波の音が聞こえる方へ降りてみると、

何やら昭和の2時間ドラマのラストに出てきそうな雰囲気。複雑な事情を持つ犯人がトレンチコートを着た刑事に説得されている場面が思い浮かびます。

それにしても風が強いので、再び社務所のある方へ戻り、『伊豆七不思議』の一つと言われている「神池」へ行ってみました。

今までの海風や波の激しさはどこへやら。

静寂。神域という言葉がよく合います。

周りを海に囲まれているなかで、この池は淡水を保ち、淡水魚が多く生息しているそうです。覗いてみると鯉が口をパクパクさせていました。周りの海水面の上下に合わせて池の水面も上下するそうですが、なぜ淡水を保っているのかは未だに謎だとか。

本殿で手を合わせてお参りしたときよりも、私は神聖な気持ちになり、今後のこと、これから始まる今年一年のことを考えました。

『自分に言い訳をせず、自分の可能性を自分の力で探していく』

これが、この神秘、幽玄な池を見て誓った今年の私の目標です。

ところで、この池はイタズラをするとバチが当たるそうです。さすがにイタズラをする気にはなりませんでしたが、この池での誓いを忘れるとバチが当たるかもしれません。まだまだ生き方の見つからない50代の私。きっとこの先もずっと模索し続けていくのでしょう。

堅実で楽しい一年になりますように。