バタバタと一月が終わり、気がつけば二月を迎えてしまいました。
二月といえばバレンタイン。初恋ではないけれど、幼なじみの男の子M君のことを思い出しました。実家があった辺りにも当時は畑がまだ少し残っていました。畑を挟んだ向こう側に二軒の家の建築が始まりました。当時の私は小学校3年生。ひょっとするまだ2年生だったかもしれません。私はその家が出来上がっていく様子を毎日眺めていました。
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ちなみにこちらの画像は横浜の異人館。
私の実家は決してこのようにお洒落な家ではありませんでしたが、数年前に訪れたとき、このレトロな雰囲気から当時の記憶がよみがえりました。ある夕暮れ迫る頃、父が帰宅しました。
私は父に「お帰りなさい」と言い、「あの家の職人さんたちもさっき帰って行ったよ」と窓から見える畑の向こう側の建築中の家を指差しました。そして父に訊ねてみました。「どんな人たちが引っ越してくるのかな?」
私は新しいご近所さんが増えることにワクワクしていたのです。自身も建築職人だった父は窓から建築中の家を眺めると、「上に三部屋ある。子供が2人いるか、もしくはその予定か、そんなところだろう」と答えました。
「どうしてわかるの?」
「柱を見ればわかる」
「下の方が柱がいっぱいあるね」
「どの家もそうだよ。下の方が柱がいっぱいあるんだ」
「下の方が部屋がいっぱいあるように見える」
「台所と、風呂場だろ」
そんな会話をしながら、窓から建築中の家を父と並んでしばらく眺めていました。
「この辺りに子供が増えるね!」と私が勝手に想像を膨らませて喜んでいると、「子供の年齢にもよるけどな」と父が笑いました。
いよいよそのニ軒が完成し、そのうちの一軒であるオレンジの屋根の家に引っ越してきたのがM君でした。
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M君が転校してくる前日のこと。やはり夕暮れ時に帰宅した父が鼻歌まじりに母と楽しそうに話していたので、不思議に思った私は「どうしたの?」と声をかけてみました。すると母が笑顔で答えました。
「お父さん、男の子に声をかけられたんですって」
男児を待望していた父ですが、残念ながら生まれてきた子供は続けて女の子。さらに父は子供が話しかけやすい雰囲気では決してなかったので、子供のほうから話しかけてくるなんてとても珍しいことでした。
手を洗う父に、「だからあなた、嬉しそうなのね」と母も嬉しそうに話していました。そして手を洗い終えた父が私に言いました。
「あのオレンジの屋根の家に引っ越してきたらしいぞ。明日から学校だって言ってた。自分から名前を教えてくれたけど、ちょっと変わった苗字の子だったな。こちらの名前も聞かれたから〝おじさんの娘は〇〇だよ〟ってお前の名前を教えておいたよ」
翌日、休み時間に一人でポツンと席に座っていた転校生の少年に声をかけてみました。
「昨日うちのお父さんと話したでしょ?」
するとその少年はキョトンと私の顔を眺めてから、次に私の名札を見て、
「あ!昨日の〇〇さんの子供なの?そーだ!子供の名前は〇〇だって言ってた!今日一緒に帰ろう!明日も一緒に学校に来よ!」
なんとまあ素直で明るいこと。それがM君との出会いでした。
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転校初日、学校から帰るとM君とM君のお母さんが我が家へ挨拶に来てくれました。
「M君ね、今日は男の子のお友達が出来なかったんですって。あなたと仲の良い男の子のお友達を誰か紹介してあげたら?」と私の母。
「いいよ!」と私がM君を連れて行ったのはワンパク坊主でガキ大将だったH。すぐに2人は仲良しになり、学校の行き帰りも、下校後の遊びもいつも一緒。女の子と登校している私を後ろから追いかけて来て「おはよう!」とスカートめくりをして駆け抜けていくガキ大将のH。「やめてよ!」と怒る私。Hの後ろを追いかけるように駆けてきたM君が立ち止まって「おはよう」と笑顔を見せ、再びHを追いかけていくというのがこの頃の朝の日課。
私が小学校5年生のときに父は病に倒れ、建築職人の生活に別れを告げて、入退院を繰り返しながら自宅で闘病生活に入りました。その頃は、私とM君はクラスも離れ、お互いの家を行き来することもなくなっていました。
ある冬の日。父が母に話していました。
「あの子を見かけたよ。すっかり大きくなってた」
「そりゃそうよ。この子(私のこと)と同い年ですもの。あの子だって来年は中学生になるんだから」
「あのこももう中学生か…。俺のこと、まったく覚えてないみたいだったよ」
父が少し寂しそうに笑うと、
「仕方ないわよ。大人にとっての3年はあっという間だけど、子供は3年で一気に大きくなるんだから」と母が優しく父に微笑みかけていました。
さらに3年が経過し、再びM君と同じクラスになりました。すでに二人とも中学校3年生。生意気盛りといえど、M君の素直さは変わらず、思い出話に花が咲く日々。M君の隣の家のお兄さんが私の家庭教師だったこともあり、再び私たちの距離は縮まりました。
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高校受験が近づき、進路を迷っていたときにM君が真剣な眼差しで私に言いました。
「同じ高校に行こうよ」
その言葉を聞き、そしていつもと違うM君の眼差しを見て、私はなぜか涙が出そうになりました。しかし、やはりなぜか担任の教師は同じ高校を受験することに猛反対。
ある晩、父と母が話していました。
「いいじゃないか。S高校を受験させてやれよ。あの子だろう?〝同じ高校に行こう〟なんてなかなか言えるものじゃないぞ」と微笑む父。
「無理よ。いくらお願いしても担任の先生が願書にサインしてくれないわよ」とため息をつく母。
結局、私たちは別の高校に進み、向こうからの歩み寄りがあったにもかかわらず、私はM君を遠ざけてしまいました。素直なM君の思いに逃げ腰になり、自分の恋心を認めようとせず、私はそのままM君の存在を封印してしまったのです。
それからおよそ30年後、横浜の異人館で『ある男の子の部屋』を見たとき、M君のことを思い出し無性に会いたくなりました。M君の名前を検索してみると、Facebookですぐに見つけることができました。
そして悩みに悩み、思い切って「私のこと憶えてる?」とメールをしてみました。すると「もちろんだよ!」と即返信があり、お互いの近況報告を終えると「こんど会おうよ!」と相変わらず屈託のないM君。
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いくら幼なじみといえど、既婚者のM君とまさか2人でいきなり会うわけにもいかないので、M君のご両親と奥様を交えての30年ぶりの再会。うちの両親が生きていたらどんなに喜んだだろうと心の底から思ってしまいました。父とM君を再会させてあげられなかったのが本当に残念です。
頻繁に会うことはなくなったけれど、M君とは今でも友達です。ついでにワンパク坊主のHともFacebookの繋がりで再会して、今も当時と同様にHは私にとって頼もしい存在。「俺は〝ついで〟かよ」というHの声が聞こえてきそうだけれど。(笑)