概説
護国神社は、明治時代に日本各地に設立された招魂社が、1939年(昭和14年)の内務省令によって一斉に改称して成立した神社である。「招魂社」の名称は、「招魂」が臨時・一時的な祭祀を指し、「社」が恒久施設を指すため、名称に予盾があるとして、護国神社に改称された[1]。
護国神社は、おおむね各府県につき一社が建立された。社格は、府県社に相当する内務大臣指定護国神社(指定護国神社)と、村社に相当する指定外護国神社とに分けられた。1945年(昭和20年)の終戦後、護国神社は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により軍国主義施設とみなされ、存続を図るために、名称から「護国神社」の文字を外すなど改称を余儀なくされた[2]。改称した神社は、後にサンフランシスコ講和条約を締結して日本が独立を回復すると、元の社名に戻した。戦後、いくつかの指定護国神社は神社本庁の別表神社となった。
指定護国神社は、北海道に3社、兵庫県・広島県・島根県・岐阜県には2社など、一県内に複数存在することもある。これは、かつての「国」(令制国)や地域意識が強く残っていた地域では同じ県出身者でも違う「国」や地域出身の戦没者を受け入れない例もあるためとされる(例えば広島県の場合、かつての備後国と安芸国にそれぞれ一社が存在する。)また、神奈川県「4」や東京都には、護国神社が一社もない。
各護国神社の祭神は、靖国神社「6」の祭神と一部重なるものの、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っている。そのため、公式には護国神社は「靖國神社とは本社分社の関係にもある。主要な護国神社52社で組織する全國護國神社會(旧浦安会)は靖國神社と連携し、英霊顕彰のための様々な活動を行っている。
1960年(昭和35年)に全国の護国神社52社に対して天皇・皇后より幣帛が賜与されて以降、終戦から数えて10年ごとに幣帛の賜与が続けられている。
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