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山本芳翠

2011年12月01日 06時07分59秒 | パソコン

                                 山本芳翠

(1850-1906)

洋画家。嘉永(かえい)3年美濃(みの)国(岐阜県)に生まれる。幼名為蔵、為之助。初め京都に出て南画を学び、1872年(明治5)横浜で五姓田芳柳(ごせだほうりゅう)に入門、洋画に転じる。76年工部美術学校に入学してフォンタネージの指導を受け、翌年の第1回内国勧業博覧会に出品、花紋賞を受け、宮内省買上げとなる。78年パリ万国博事務局雇として渡仏し、国立美術学校に入ってレオン・ジェロームに師事、87年帰国する。翌年合田清(ごうだきよし)とともに生巧館(せいこうかん)画学校を開いて後進の指導にあたり、89年同志と明治美術会を創立。のち黒田清輝(せいき)の白馬(はくば)会創立に参加する。日清(にっしん)戦争、日露戦争に従軍し、記録的戦争画を描いた。画風はフランス流に洗練されたアカデミズムを示す。生巧館門下に藤島武二(たけじ)、白滝幾之助(しらたきいくのすけ)、湯浅一郎らがいた。代表作に『裸婦』『西洋婦人像』『十ニ支』がある。


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