ホイッスラー
JamesAbbottMcNeillWhistler
(1834-1903)
19世紀後半のロンドンとパリを中心に活動したアメリカ人画家。マサチュ-セッツ州ローウェルに生まれる。ロシアのぺテルブルグで少年時代の一時期を過ごし、ウェストポイント陸軍士官学校を中退。1855年パリに行ってクールベ、マネなどの前衛的な美術に触れる。59年ロンドンに住んでラファエル前派の影響を消化しつつ「ハーモ二ー」「シンフォニー」の連作を描き始める。パリとの間を往復しながら64年にはジャポニスムによる作品を試み、日本の落款のような蝶(ちょう)のサインを使う。68年になると浮世絵の意匠を借用した『肌色(はだいろ)と緑のバリエーション=バルコニ-』を制作。抽象に近い『黒と金色のノクタ-ン=しだれ花火』を酷評した評論家ラスキンと77年に起こした法延闘争は有名。勝訴したホイッスラーは破産したが、ベネチアで制作した銅版画連作は好評を得た。晩年はパリに住んだが、当時の美術界に与えた影響は大きい。
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