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美術館(34)

2010年08月01日 02時44分30秒 | パソコン

                ゴーギャン

1848年、二月革命の年にパリに生まれた。父は共和系のジャ-ナリストであった。ポールが生まれてまもなく、一家は革命後の新政府による弾圧を恐れて南米ぺルーのリマに亡命した。しかし父はポールが1歳になる前に急死。残された妻子はぺルーにて数年を過ごした後、1855年、フランスに帰国した。こうした生い立ちは、後のゴーギャンの人生に少なからぬ影響を与えたものと想像される。

フランスに帰国後、ゴーギャンはオルレアンの神学学校に通った後、1865年17歳の時には航海士となり、南米やインドを訪れている。1868年から1871年までの海軍に在籍し、普仏戦争にも参加した。その後ゴーギャンは株式仲買人(証券会社の社員)となり、デンマーク出身の女性メットと結婚。ごく普通の勤め人として、五人の子供に恵まれ、趣味で絵を描いていた。印象派展には1880年の第5回展から出品しているものの、この頃のゴーギャンはまだ一介の日曜画家にすぎなかった。株式相場が大暴落して仕事に不安を覚えたとき、安定した生活に絶対的な保証はないと気付き、勤めを辞め、画業に専心するのは1883年のことである。

1886年以来、ブルターニュ地方のポン=タヴェンを拠点といて制作した。この頃ポン=タヴェンで制作していたベルナール、ドニ、ラヴァルらの画家のグループをポン=タヴェン派というが、ゴーギャンはその中心人物と見なされている。

 

 


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