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小茂田青樹

2011年02月22日 06時12分11秒 | パソコン

                            小茂田青樹

略歴

埼玉県川越町(現川越市)に呉服商・小島徳右衛門の次男として生まれる。本名は小島茂吉。通称は茂。1896年(明治29年)、叔父の養子となり小茂田姓になる。

17歳で上京。当時は川越東京を結ぶ鉄路がなく、寄宿したのが松本楓湖の隣家であった。その縁もあって楓湖の「安雅堂画塾」に入門。なお、同日に、終生ライバル関係となる速水御舟も入門。画塾では御舟が午前、青樹が午後だった。1913年(大正2年)、第13回巽画会展に出品、原富太郎に買い上げられ、以降、支援を受ける。翌年、今村紫紅が主宰する赤曜会に参加し、青樹と号する。

1915年(大正4年)の再興院展に「小泉夜雨」が初入選。その後、肺結核となり川越の実家で静養する。1918年(大正7年)、第5回再興院展で「菜園」が入選。1921年(大聖10年)、第8回再興院展に洋画的な手法と細密表現の際立つ「出雲江角港』を出品し、横山大観らに推拳され日本美術院の同人となる。1929年(昭和4年)、杉立社を組織、また帝国美術学校(現武蔵野美術大学)教授に就任。1931年(昭和6年)、日本画が本来もつ装飾性に眼を向けた「虫魚画巻」を第18回院展で発表。

1933年(昭和年)、咽頭結核が悪化し神奈川県逗子市で夭折。享年41。墓は川越市の広済寺にある。


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