私がずっと、自分を苦しめていたもの
それは、執着だ。
運命の人(ツインレイ)との間では、自分と他者との区別がないような感覚になる。
それは、ある意味特別な感じがあって、安心感を与えてくれる。
しかし、同時に自分の中のすべてを解決してくれる魔法の杖ように感じてしまっていた。
陰と陽でこの世はすべて成り立っていると思う。
愛もときに、大きすぎたりエゴが加わることでとんでもない執着を生んでしまう。
私は、このスパイラルにいつの間にかはいっていたことに気が付いた。
最初、出会った頃はこの人さえいれば、すべてのことが瞬時に変化変容して、
すべてうまくいく錯覚を覚えた。それは、彼も同じだろう。
その最初の宇宙エネルギーに包まれ、真我から湧き上がる至福のエネルギーを味わっても、
結局三次元に生きる人間同士、次第にエゴがむくむくと顔をだす。
彼は、男性ゆえに私の肉体的なエネルギーに強い執着があって、また嫉妬も強いタイプだった。
私も、女性でありながら性エネルギーが開き、魂の引き合いも強いのを感じていた。
だが、自分の肉体をゆだねることで、経済的な物質的な見返りのようなものを強く抱いた。
それは、彼に私という人間を扶養してもらうこと。
経済的な豊かさを求める心であった。(奪う心かもしれない)
精神と経済との自立は両方併せ持っていてはじめて、人間として自立になるのかもしれない。
私は現実的には、夫に経済的に依存していたし、昔ながらの男女分担制で成り立たせていた。
それはそれで、決して悪いことではないし、良かったとも思っている。
彼は彼で、出会ってすぐに
私の離婚について言及したし、将来的なことをほのめかしていた。
しかし、この頃の彼は経済的なことを自分が背負うつもりはたぶんなかったのだ。
無責任な発言だが、彼はその当時はある意味、男性としての責任を真摯に受け止める人間でなかったのだろう。
私も、夫がいるにもかかわらず簡単に関係をもってしまうわきの甘さと身勝手なエゴがあった。
それから時が経ち、きっと彼はいろんな葛藤があり、仕事に自分に向き合わされるなかで、
私への執着を緩めていったのかもしれない。
もちろん、不安や恐れと、男性としての責任も自覚しだしたからこそだろう。
私は、そんな彼の変化を感じていて、不安になっていた。
逃げ腰の彼に、はっきりさせてほしいと言ったこともあったが、迫れば迫るほど
彼は距離を置こうとするそんな感じを抱いた。
だが、去年の秋には、現実と向き合うのが怖くてうやむやにしてしまった。
彼は、私の中にある強い執着を、どこか異様なものに感じていたかも、、、。
私も、今回のことで尋常ではない執着こそが、私を苦しめがんじがらめにし、
また、夫をやたらと避けたくなる衝動にさいなまれていたのだろう。
自分の肉体をゆだねるということは、私にとっては勇気がいることだったんだ。
私を奪われる気持ちになるとは、、、何かそこにもブロックがある。
ただ、肉体を守ることは私の心を守ることと繋がっている。
そして、それをあえて言葉にして相手に伝えることで、解放されたんだ。
肉体的関係の解放が、彼への執着に気が付くきっかけとなった。
ある意味で、ニュートラルに戻ることができた気がする。
複雑な問題が絡んでいても、一つの糸がスーッと解けると、ほかの問題も緩ませられ
解けていくようなイメージだ。
「執着と手放し」
言葉にするといかにも簡単そうだけれど、非常に奥深く
人間のドロドロしたエゴが渦巻くのを直視するかのようでしんどい。
これからも、ゆっくりと自分と向き合い、あらゆることを手放しして
少しずつ癒しながら、軽やかに生きていきたい。
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