昨日は、息子と実家の母と三人で岐阜県にある温泉へ日帰りで行ってきた。
アワアワの炭酸泉に入って、フーッと深呼吸をしてみた。
気持ちがほぐれて、身体も心もなんだか喜んでいるみたいだ!!
この数か月本当に苦しかった、私はもちろん母も同じ。
大腿骨付近を骨折して退院し家で療養中の母と、久しぶりに二人でゆっくり大きなお風呂に入れてよかった。
お風呂に行くなんて特別でも何でもないはずなのにね、、。
当たり前の時間なんかなくって、すべてが変化しているという現実を深く知りえた私。
それは息子が巣立つという、ごく自然で喜ばしいことにガックリきて病にまで至ってしまったからこそ
そう思えるようになったのだと思う。
まだ息子がベビーカーの時代から三人で過ごし、すくすく息子は大きくなって逞しくなった。
その一方で、母は年を老い健脚を失いかけて、私自身も耳などに不調がでるなど、加齢を感じるお年頃となった。
数年前まで三人で良く旅行へいったり、息子が巣立つ前もよくご飯にいっていた仲良し三世代。
時はあっという間に過ぎ去り、私も母もそれぞれの現実を突きつけられたけれど、
親子そろって現実を受け入れず、もがいた。
もがけばもがくほど、良いことにはならないとわかっても、なお、たまにもがく、、、。
もう一方で、
それはそれとして、受け止めつつ、やっぱり今を楽しむことが一番サイコーなんだ!!
無我夢中
って言葉があるけれど、
子供のころって、遊びに夢中になって時間も忘れてしまったり、今しか生きてなかった。
今しか知らなかった。
どうしてだか、大人になると、今を忘れて、過去や未来に意識がいってしまいがち、、、
それは生きていくために必要な程度で良くって、
なんでもほどほどなんだよね、、、。
そして、今日はヨガレッスンを終えてから
息子とランチに出かけ、いろんな話をゆっくりして
昨日、今日と本当にいい時間が過ごせて、これが幸せなんだって気が付いた。
息子に手紙を書いた。
「新たな世界をいきいきと歩んでいる息子をみて、母も人生を上書きしていく気持ちになったこと。」
「ママもパパも、我が息子を誇りに思っていること。」
「人間として今世では私たち親が年上なんだけれど、
息子がなぜだか、、、親のような存在だと思うこと。」
(息子もそうだけれど、今の若い人は成熟した魂レベルの人が多いのかもしれない。)
車を出ようとする息子と握手をした。
何度も見送ってきたけど、これは初めてのこと、、、。
その遠ざかる後ろ姿が、また少し逞しく見えた。
なぜか、今回は胸は苦しくない。
ちょっと、ほっとしている自分がいた。
私も少しだけれど、自分を生きることができるようになったのだと思う。
今頃だが、何か成長したのかもしれない。
まだまだ未熟な私、焦らずとも緩やかに現実と向き合いながら、
たまにもがいてもいいし、泣いてもいいし、笑ってもいい。
そんな日々もまた愛おしく感じるときが来るのだと思うから、、、。
愛をこめて♡
END
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