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あみの3ブログ

元屋敷城@富山県下新川郡朝日元屋敷 令和三年(2021)9月14日

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地元紙・北日本新聞の連載「富山・お城探検隊」の記事を毎日(月曜から金曜までの朝刊に掲載)楽しみに読んでます♪
小さな山城の資料を目にする機会が無いので、活字だけ見ていても実際に行ってみようという気にはなれません。なので、写真付きで小学生にも分かるように書かれた紹介記事はジジィにはありがたいです。
しかし、この時期の山城はヤバいです!下草に覆われ素人が新聞記事みて、安易に行くところではありません。熊との遭遇・被害も懸念されます。

その点、先に紹介した「宮崎城」は安全安心(笑) 公園ですから(^^)/
問題はそれに接続している「元屋敷城」
せっかく朝日町まで(自宅から約90Km、1時間30分位)行くんだから2か所攻めようと、ネットで資料をかき集めましたが「元屋敷城」の登城報告はほとんどありませんでした。
今回の登城に際し
「駅から徒歩で城めぐり」さんの記事が大変参考になりました。ありがとうございました。
「駅から徒歩で城めぐり、、、元屋敷城(泊城)」の記事は→こちら


元屋敷城は、宮崎城より北西に張り出した尾根の突端、通称「元屋敷平」に位置する。北麓の海岸線には北陸街道が走る交通の要衝である。伝承・古記録が全く残っていないため城主等一切不明。しかし宮崎城との直線距離は約500mで、宮崎城から見下ろされる位置にあるため、宮崎城の支城として使用されていた可能性を指摘することができる。、、、佐伯先生、越中中世城郭地図Ⅱより引用

場所は先の宮崎城の記事に準じます。



宮崎城三の丸下の曲輪「F郭」の先にあります。
同上



携帯アプリの行動履歴
全工程(宮崎城記事で紹介済み)



【それでは具体的に元屋敷城跡への侵入経路を紹介したいと思います。】

三の丸から七曲へ向かう途中の「くの字」に折れた道
「くの字」の「く」の折れ曲がった角から直進方向、藪に向かって突入した先に北曲輪「F郭」、さらにその先の「元屋敷城址」へ進むことができる。



見た目はただの藪。
とてもこの先に分け入ろうという気持ちにはなれません(;^ω^)



先人の報告だけを頼りに、突撃!!!



藪に入って数メートル進んだところで、まったく踏み跡が無いことに気付き進退窮まる(;^ω^)
なんとなく、進路が三方向あるように見える。
直進するも藪が酷く進めない。
右は斜面を登る方向、数メートル登って「尾根を下ると報告にあった」ことに気付き引き返す。
今度は下り斜面を降りるも、谷底に落ちていく感じで危険すぎる。
もう一度戻って三方向を睨み、最初に進んだ直進方向を観察すると、藪の先になんとなく草丈が低い場所が見えてきた。
もしかしたら、背の低い草の上を歩けば道になっているかも!!



樹海ならぬ、草の海を泳ぎ切り、小高い樹木の辺りまで進むと、左手に山の斜面が現れました。
三の丸「北陸宮陵墓」下辺りの法面です。
一瞬藪の中で石垣発見か!!!と心がざわつきましたが、コンクリートや塩ビ管が見えてきてガッカリ!!!というか、逆に安心しました。
宮崎城址を公園化する際の護岸工事??? (先の記事で紹介した、二の丸→三の丸の遊歩道で見た石垣と同じ近年のものですね。)
ということは、このルートが正しかったということです。



石垣のある斜面沿いに暫く行くと、下りの尾根筋を歩くことになります。
ここは分岐点なので、帰路で間違えそうです。赤い目印を取り付けました。



尾根を下ると平坦地が見えてきました。これが「宮崎城北にあるF郭(佐伯先生指摘の)」だと思われます。
ここに至っては看板も説明板もありません。


周囲には土塁や


竪堀


堀切らしきものがありました。



その先にある「元屋敷城跡」を目指し、馬の背になった尾根を下って行きます。
高い樹木の下は日差しが届きにくく、下草が生えていないので歩きやすかった。



ここで当日の行程を説明します。
佐伯先生の越中中世城郭地図Ⅱ、、、(ブログ管理者加筆)
図面右手の「至宮崎城」からの侵入経路となります。(携帯アプリと向きを合わせるため回転させました)



到着したのかさえも確証を得られないまま歩き回りましたが、シロートのジジィには地形と図面を合致させることが難しかったです。
今回は難易度が高いことを見込んで、事前に携帯アプリで行動履歴を取っていました。目印の赤いテープとGPSが頼りです。
等高線上の青い線が行動履歴です。そこに佐伯先生の縄張り図を当て込んでみました。

なんとなく、自分が歩いた場所がわかってきましたが、時すでに遅し!自宅に帰ってからでは見直すことはできません(笑)



以下写真と場所が一致していない可能性がありますが、ジジィの戯言とご理解いただければ幸いです(;^ω^)



尾根上に空いた穴、フムフム💛 これだな!
ということは、もう少しで「矢倉台(番所曲輪)」ということですね。




◆矢倉台(番所曲輪)
盛り上がった地形、その裾野を通る


「矢倉台(番所曲輪)」から西に向かう尾根の先が「二の丸」か




◆二の丸
二の丸切岸



二の丸段差のある平坦面




◆三の丸
三の丸削平地



三の丸土塁



三の丸空堀




◆南曲輪
南曲輪土塁


南曲輪尾根道


南曲輪空堀




◆大手口
土塁


標柱
目的や意味が解らないまま撮影💦


巨石


参考資料と明確に一致したものの一つです(笑)
折り返しポイントとし、昼食でバナナと水を補給。




◆本丸
土塁らしきものが見えてきたので突入


本丸と思われる削平地




◆横堀


かなり長い堀で、折れていました



ここでアクシデント発生!!
本丸らしきところへ突入後、土塁や堀を追っかけているうちに、目印テープを取り付けることを忘れていました。

こっちから来たはず!との思い込みが間違いのもと。すっかり自分の居場所が分からなくなってパニックです(;^ω^)
なんとか自制心を取り戻し、携帯アプリの行動履歴を確認すると、地図上に青いラインが表示され現在位置が示されています。
よかった~
それを頼りに、なんとか来た道に戻ることができました。往路で取り付けた赤い目印テープを見つけてほっとしましたヽ(^o^)丿

最後に撮った一枚はどこだったんでしょうか?
デジカメの撮影時間を時系列に追い掛け、GPSの行動履歴と縄張り図を重ね合わせると、どうやら角馬出から武者曲輪の辺りだと思われます。



【まとめ】
一番の見どころだった本丸周辺、虎口や馬出の確信が持てないままの帰投となりましたが、無事帰れ安堵した次第です。
公園化した宮崎城とは一線を画し、当時の遺構がそのまま残っている、山城の醍醐味を感じる元屋敷城跡。
下草が枯れたころにもう一度訪れ、縄張り図と照らし合わせて、じっくり歩きたいですね。



【元屋敷城】
《》

名称(別名);
所在地;富山県下新川郡朝日元屋敷
城地種類;山城
標高/比高;161.7m/160m
築城年代;16世紀
廃城年代;16世紀
築城者;上杉氏か
主な改修者;
主な城主;上杉氏
文化財区分;
主な遺構;曲輪、土塁、横堀、堀切、竪堀、櫓台、切岸
近年の主な復元等;


※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅱ
地図;
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