弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

一応生きてはいる

2019-05-03 00:37:57 | 思考
勉強研究しなきゃ、という強迫観念にすりつぶされそうになりながら何とか生きている。
大学院も無遅刻無欠席。まあ、一ヶ月も経ってないが。

毎晩、このまま目を覚まさなければ、と思うほどに頑張りたい。
そこまで頑張れてはいないが、もう少しでその境地に至りそうなくらいには負荷はかかっている。
だが、それは自殺願望でもない。

いずれにせよ、曖昧なままだとただ流されて終わる。

最近、他にも色々気づいたことはあるが、何か書くのが億劫だ。
まあ、書かないということはその程度のことなんだろうな。

cursed spellー呪縛という名の自律ーpresent for me

2019-02-14 22:26:43 | 思考
ここ2週間くらい怠惰で日々曖昧に過ごしていた。
大学院生活や研究のことなど色々不安なのは変わらないが、何となく考えているだけで焦燥感だけがあった。研究の準備に打ち込んでいた訳でもない。

自分を律するものを、考えを忘れていた。
それは呪縛。精神を蝕む。

だが、それなくしてはこのひ弱で怠惰な自分を律することは出来ないのだ。
去年、専門を変えて大学院入試に頑張れた時、それは確かに機能していたのだ。

それは旅先の暗闇の回廊での問いかけ。

それをもう呪文のように定型化してもいいだろう。

いつか死ぬ。必ず死ぬ。
時間も場所も選べない。
遺すものも遺されるものも無い。
希望も絶望も要らない。
だが、このまま死んでいいのか。このまま、何も分からないまま。

・・
この死の呪縛を忘れかけていたのはおそらく眠る際の動悸が減っているからだろうが、mECTの記憶が薄れていっているのもあるだろう。

道路に一歩踏み出せば、線路に一歩飛び出れば、包丁を思いきって自分に突き刺せば、この大量の薬を飲み干せば・・そんな衝動的な想いがふと去来することもなくなった。
この電車が脱線すれば、このバスが事故を起こせば、そんな微々たる可能性も考えなくなった。

一見、危ういが、そもそも日常的にそういうものに囚われる精神状態が私がたどり着いた境地。
そこからでないと何も踏み出せず何もなしえない。

だが、それでいいのだ。いやその方がいいのだ。
祈りは要らない。他者も要らない。この呪いだけが私の道しるべ。
ならば、祈る代わりに、他者の言葉のその手前に、毎日この呪いを自分に贈ろう。

入学までに色々決めねばならないことがー願望ベースで

2019-02-11 01:14:03 | 思考
ようやく、物件探しが落ち着いた。
が、まだまだスタンスを決めねばならないことが沢山。

ドイツ語の扱い(ドイツ語技能検定二級を目指すか
英語の扱い(TOEFLその他
資格取得の件(来年の弁理士
バイトの件(TAや家庭教師
趣味の件(楽器その他
執筆のこと
通院先のこと

等々。
勿論大学院には好きで行くのだが、勉強や研究が大好きという訳ではない。
それは職業で目指すのもあり義務感も強い。

なので、義務感ベースで他のことをやろうとすると辛いと思う。
勿論動ける量には限りがあるけど、もう一度願望ベースで考えてみよう。

R.I,P~大言壮語

2019-02-06 00:22:54 | 思考
今小説の執筆を再開することを考えいて、そのテーマ的に受験の季節に思うことがあって。




分相応・分不相応、趣味・本業どちらでも「高み」を目指してきた。




小学校の間は「甲子園」とか戯言を抜かしていた。中学の野球部の時点で上がいすぎて「敵わない」どころか「お話にならなかった」。




一浪時には東大。父が亡くなったり一浪の受験前にノイローゼになっていなければ東大には合格していたと思う(模試ではB判定以上しか取っていない)。

合格しても大学内で自分では「敵わない」人に巡り会っていただろう。




その前にアーケードゲームでも上手くなろうとしていたし、大会にも出ていた。だが、もっと、反射神経が良い人には「敵わなかった」。




フルートでも、歴代のフルート部員の中で一番うまくなろうと練習ばかりしていた。全盛期の実力と練習量なら音大も目指せたかもしれない。

でも、部から出て、幼少期からやっている人と会った時には、そういう人には「敵わなかった」。




バイオリンはもう動画を見たとたん、「敵わない」ことが分かった。その時点で(エレキ)バイオリンはやめた。




大学院には偏差値がないのであまり気にしなかったが、公務員試験も当初は国家公務員総合職(いわゆるキャリア)を目指していた。

これは敵う敵わないの以前に意欲が出なかった。




・・・ふと、高校の同級生で

「ノーベル賞を取る」

と言っていた人がいたが、あの人はどうなったのか。




仮にノーベル賞がナンバーワンだとして、それも結局他者評価。誰かとの勝負。




牧歌的な「誰もがオンリーワン」なんて戯言もどうでもいいの良いが、ナンバーワンっていうのも誰が決めるのだろうということ。

結婚相手なんてのも本質的な意味で「その人にとってのオンリーワンとナンバーワン」なのではない。市場が広すぎて、その中で縁のある人と結婚するだけ。それは目標とするものではない。




ともかく、自分が「有象無象のその他」であることを認めて受け入れるべきなのか。それで何が残るのか。いや違う、何が始まるのか。




・・・

冒頭の小説でも、高みはおろか、~賞すら取れない。

というか、そこに賭けるものでもない。物書きは自分の本質でない。じゃあ、趣味で・・となると、そもそも自己満足で楽しめるのかすらかなり謎で。今はネットで投稿できるから、ひょっとしたら、「将来の潜在的な他者」にとってオンリーワンになれるかもしれない。だが、見ず知らずの人に認めてもらうことが目標なのか。

そこまで私はお人よしではない。




じゃあ、本業の賭けるべき研究で一番をとなっても・・・

一体、誰がどのように評価してくれたらそうなるのか。

ノーベル心理学賞もノーベル哲学賞なんてのはない。

というか、それ以前に一端の研究者になれるのかすら分からない。

それはさすがに他者に評価されることで決まる。。




それでも、他者評価で「高み」なんてのを目指してきたことで幾多の自分が死んでいった。




その時々の自分にとってその時々の自分がナンバーワンでオンリーワンならいいというのは一理ある。

が、自己満足では食べていけない。




ここら辺の思考の袋小路が、平成の自分の限界だろう。

大学院に入学して何か本質的な部分が変わる訳でもない。元号が変わっても同じ。

それでも、その頃には・・未だに内部と外部で亀裂が入っている「平成の自分」はその自己イメージ、心象風景とともに安らかに眠っていることを祈る。




・・何て都合のいいことにはならず、結局、他者評価と自己評価の間でもがき続けるのだろう。

それでも、いや、だからこそ、大言壮語を吐き続けますか。

年齢不相応な夢を公言し、理想を抱き、目標を掲げ続けようか。

誰のためでも何のためでもなく、元号が変わっても、年を取っても。きっと、その足跡だけが死んだ幾多の自分への鎮魂歌。


look down and look up-今改めて-CLANAADの先に見えるもの

2018-12-06 01:08:12 | 思考
プライムビデオで昔ゲームでやったクラナドのアニメを観ていた。

巷で言うようにこのアニメが人生とは思わない。

だが、そのゲームを貸してくれた友人と語り合ったことは覚えていて、先ほどの日記を再考してみた。

これは子どもが大人になり大人が子どもをもうけていく普通の物語だ。

そう。普通の。
青春し、恋愛をし、仕事を始め、その過程で苦労成長し、一人前に社会の一員となっていき、子どもを育てていく苦労をして・・という・・

ゲームをやったその当時は一種の憧れのようなものもあった。こういう人生でいいんだ、と。
だが、今は違った心境だ。

いや、違ったというか単純に分からなくなってしまったのだ。単純に朝通勤ラッシュのなか出勤をして、仕事の苦労にもま
れ責任を背負い、、くたくたになって、混んでいる電車で帰り、帰ったら(いたら)家族にも笑顔を向けて。そんな生活が。
それでも、「その人のためになら」と思える相手がいたなら、と考えて自分を殺す自分が今の心境だと想定出来ない。

それはもはや憧れというより、誰かのためにという呪いでしかない。
それは確かに恋愛ゲーム(アニメ)だから、そういう人がいたなら、という願望は狙い打ちにするだろう。

だが、現実にはそうまで思える相手がいない。そう考えたのは3年くらい前。
今はいるいないの話ではなく、単純にそうできない。
そこまで愛せる人がいない、というよりそこまで自分を殺せない。

殺す殺さないで言ったら、そういう普通に憧れを抱いた自分をようやく殺すことができた。
それが電気痙攣療法だったり、その後の試行錯誤の賜物。

繰り返すが分からない。どうしてそこまで自分を殺して、何を得て、何を守りたいのかが。

だから、やはり、私は世間一般的な大体の人を見下しかつ尊敬する。

まあ、だが、こういうお伽噺も、社会一般的な働き方を出来るという自分の中でのお伽噺も、もはや縁のないものだ。

因みに、学者になりたいから、学者は世間一般の働き方をしないから、こんなことを書いている、というのでは決してない。そういう文脈で見下し尊敬するというのでなくて、そういう生き方が自分には出来ない、それだけだ。

だが、もうそういう類いの疑問に煩わされる必要もない。
それはそれで寂しいことなのだが。