弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

哲学的バックグラウンドと心理状態

2017-10-26 14:41:37 | 思考
大学の有料の哲学の公開講座を受けるか悩んでいる。
金銭面は勿論、そもそも言語情報がすんなり頭に入ってこない。
(ただ対人場面でのコミニュケーションはできるようだ。)
だが、一番の問題は、そもそもその哲学の講義を受けてなんにもならないような気がすることだ。

個人はいつかは死ぬ(そしていつ死ぬか分からない)
死後の世界は存在しない。
この世界(或いは人類)もいつかは消滅する。

この三命題と、
人間の自由意志などかなり制限されるという決定論的な考え。
世界は私の認識の限りにおいて成立するという独我論的考え。

これらを加えた時に、全て無意味無価値になり全否定-ニヒリズムに到達する。

このニヒリズムに治療不可能な感情障害というものを加えたら、何故、自殺しないのかという疑問になる。

今回の講座は「永劫回帰とビッグバン」というものらしいが、宇宙論も少しかじっているのでおおかた予想はつく。

受けるだけ金銭と労力の無駄だろうというのは認知療法的な先読みの誤りなのかもしれない。
(うつ症状で決定困難という問題もある)

しかし振り返ってみるに、学問は雑食だがそもそも法学部卒で法理学のゼミにいただけで、あとは独学なのでまともな哲学の授業は受けたことはないのだ。
基本的に哲学に関するものは、
ニーチェの著作の大部分。
永井均の著作の大部分。
ウィトゲンシュタインの一部と解説本。
フランクルの著作の大部分。
その他、認知科学、量子力学、宇宙論、時間論、生命科学などなど。(多分特定の作家よりこういう本の本が多い)

哲学は全ての学問の幹だと考えているので、枝葉である他の学問の本を併せるとかなりの数になるのだが)

永劫回帰。
それはニヒリズムの克服の手段だったはず。

記事の表題に戻ると、
うつ状態だからニヒリズムなのかその逆か、が定かではない。
でも、前回の記事と併せると、去年調子が少し上がっていた時期も基本的な哲学的考えは変わらなかった。
要は、まだ生物学的に死ぬような年齢ではないし、自殺の衝動が起こらない。
適性と能力と選択できる幅を考えてその時に目指すものがあっただけ。
死なない以上、自尊心という下らないものもあるので将来的に自分で収入は得なければならない。
それだけ。

そこに何の価値も意味もない。
違法行為、他者への侵害を行うのは生まれ持った感性がそういうものを引き起こさないだけ
(自殺が罪とは思わない。時代的、宗教的に自殺者は酷い扱いを受けたこともあるらしいが)

結局、今必要なのは、哲学的考えよりもうつ状態でも喜びを感じられる適法な社会的行為だろう。
意味も価値もなくとも快が不快に勝るにこしたことはないのだから。
(そういう意味では、人生における功利主義をとっているので、瞬間で他の全ての不快を肯定する永劫回帰とは相容れないのかもしれない)

さてどうしたものか。
些細な決定だけれども、少しマシな気分の時に決定を下したい(或いは決定が決定づけられたい)ものだが・・